2015年4月22日水曜日

幸福の科学元妻・大川きょう子(49)が篠原誠[前科12犯,82歳]に数億円騙される

13000文字数

東日本大震災でボランティア活動、手に入れた慰謝料がハイエナの餌食に!!

幸福の科学元総裁夫人・大川きょう子が「7億5000万円返せ!!」金銭トラブルに
2015年4月20日NEWSポストセブン

▼ダマされた人=大川きょう子(2015現在49歳)
▼ダマした人=篠原誠(2015現在82歳⇒2013年6月に結婚して三木誠に改姓)
=詐欺師篠原誠[前科12犯]=ウソつきの心理学[夢文庫河出書房新社]p25にのる程の超有名人

宗教法人「幸福の科学」の大川隆法総裁の前妻・大川きょう子(49)。
大川きょう子が貸した巨額資金をめぐって泥沼のトラブルが起きている事を、
2015/4月20日発売の週刊ポスト(5月1日号)が報じている。

きょう子のもとを篠原誠(82歳・2013年6月に結婚して三木に改姓)が訪れたのは、2012年12月だった。
きょう子は東日本大震災直後にボランティア団体[一般財団法人みちのく衛生の会]を立ち上げ、感染症対策や生活弱者支援を行なってきた。
そんなきょう子に「私もボランティア活動をしたい」と相談したのが篠原誠だった。

篠原は詐欺事件などで複数回服役した過去を持つ。
きょう子に連絡したのも、
1998~1999年に起こした詐欺事件で懲役11年の実刑判決を受けて服役し、出所したばかりの頃だった。
篠原誠はきょう子に借金を申し込み、
最初に現金で3000万円、
2013年の1~2月には合計1億円を超える資金がきょう子から提供された。

篠原誠はそれをもとに、復興支援事業を行なうボランティア団体「絆センター」会長として活動を始めたが、運営は杜撰(ズサン)なものだった。
同誌(週刊ポスト)ではきょう子の代理人弁護士、そして篠原誠にも取材。
篠原の債務額は「7億5000万円」にのぼると報じている。

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■週刊読売1985年11月号■
5億円強奪犯 篠原誠(52)は「女の味方」だった!(16page)

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■ウソつきの心理学[夢文庫河出書房新社・渋谷昌三/目白大学教授]■

▼【詐欺師はいかにして人をダマすか?】25page~28ページより▼

➊プリンス・ジョナ・クヒオ(しかし、れっきとした日本人です)。
高い鼻、金髪の髪、純白の軍服を着て愛車ボルボを乗り回す。
エリザベス英女王の甥で、結婚すると3億円の支度金が支払われるという羨ましい身分の男性であった。

実はこの男、42歳(当時)で北海道生まれのれっきとした日本人である。
胴長短足で、鼻は整形した物であり、髪は染めた物だった。
鼻が高くて金髪だが背が低く、どう見ても外国人には見えないこの男、ある女性から4000万円もの大金を巻きあげた結婚詐欺師だった。

同じ様なな手口で5人の女性を手玉に取ったそうであるから、まったくお見事である。
結婚詐欺事件の検挙数は1年間に80件近くであるが、実際には、この10倍はあると見られている。
ジェット機のパイロット・医師・弁護士は詐欺師に愛用される職業である。
いずれも高給がとれる事でよく知られた職業だ。

ところが一般人にはその内容がよくわからないという特徴がある。
クヒオ大佐は外国人であり、ジェット機を操縦するパイロットであり、英王室の一族であった。
これらがハロー効果(後光効果)を生み、前科7犯の詐欺男が、騙された女性には「信頼できる、立派な、将来性のある」人物に見えたのだった。

ハロー効果とは、
ある人に際だったよい(あるいは悪い)特徴があると、その人の他の特性が全て良く(あるいは悪く)評価される事である。
ハロー(Halo)は聖像の後光や光輪のことであり、これがあるために聖像が引き立って見える。
こうした事からハロー効果の言葉が使われる様になった。~

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《詐欺師篠原誠=1933年生まれ(2015現在82歳)》

~別件の詐欺事件を紹介しておきたい。
❷篠原誠52歳(1985年当時)。
詐欺などの前科12犯、合わせて14~15年間は服役しているという詐欺の常習犯である。

ここに1枚の新聞写真がある。
5億円の強奪事件が明るみに出たときの写真である。
犯人の篠原誠が5~6歳の可愛い男の子を抱きかかえ、その隣には田中角栄元首相が座っている。
2人は対等な知人であるかの様に見える。

篠原は自分の権威や信頼を演出する術に長けた人間だ。
先に紹介した写真は彼が『名宰田中角栄』なる本を出版したとき東京・目白の田中邸で撮った記念撮影の1枚である。
その他、ロッキード事件1審判決の前には「田中角栄を支援する会」を名乗り、新潟や長野で「田中無罪」を派手に訴えた。
これは田中元首相との関わりの強さを演出するために篠原個人が勝手につくった実体のない会だった。

篠原誠は、
田中元首相をハロー代わり(ハロー効果)にして、自らの社会的地位を高めたり、社会的信用を得たりする事ができた。
記念写真や支援する会の派手な活動はハロー効果を高めるための小道具だった。

ところで、
比較行動学者のアイブル・アイベスフェルトは子供の可愛らしさには鎮静作用があると言っている。
オーストラリアの原住民は、他種族と交渉するとき、小さな子供を前に押しだし子供の肩に手を置いて話し合うという。
先の記念写真の可愛い男の子は元首相の警戒心を和らげるための道具として利用された。
元首相も篠原の演出に乗せられたといえる。

▼【人はなぜウソをつくのか~ホンネだけでは生きられない】p86~p88より▼

『聞き耳ずきん』という昔話がある。
お爺さんが、狐を助けたお礼に貰った汚いずきんを被ったところ、鳥や木々の声、小川の声などが聞こえてきた。
お爺さんは聞き耳ずきんで集めた情報を生かして人助けなどをする。
そして、お金持ちとなり幸せに暮らす事ができた。

しかし他人の話し声をこっそり聞くというのは楽しいかもしれないが聞いてはいけないホンネが次々に聞こえてくるとなると話は別だ。
聞き耳ずきんのお話のようにハッピーエンドとはいかなくなる。
最近、盗聴マイク関連のビジネスがはやっているという。

かってはスパイの必須道具と思われていた盗聴マイクが日常生活に入ってきたのである。
自宅の電話機に盗聴マイクを仕掛けて妻が夫の、夫が妻の話を盗み聞く。
母親が子供のランドセルに盗聴マイクを仕掛けて友達との会話や先生の話を盗み聞く。

現代人は盗聴マイクという聞き耳ずきんを手に入れたわけだが、
物語に登場する思いやりのあるお爺さんのように幸せになれそうにない。
他人のホンネを聞く事で疑心暗鬼になり、かえって不幸を招いてしまうからである。
1人ひとりがホンネで生きられれば、これほど楽なことはない。

しかし、それが個と個の付き合い、つまり人間関係という事になるとホンネだけでは生きられない。
まっ~正直である事が軋轢を生むからである。
また、聞き耳ずきんで、相手のウソが全てわかってしまったら誰も信用できなくなるだろう。
ウソが言えないという事になったら気楽に話ができなくなるだろう。
恋愛などできなくなるに違いない。

子供は小さい時から「ウソをついてはいけない」と言い聞かされて育つ。
にもかかわらず子供は、いつの間にかウソをつくようになる。
誰からも教わらないのに時と場合に応じてウソを使い分ける。
そうする事で複雑な人間関係に順応し、上手く溶け込んでいけるのである。

思春期は、この意味で、それまでに教えられた道徳観念と、
「時には嘘も必要である」といった社会通念とのギャップに気付き、それを乗り越えなければならない時期である。
この時期に、最終的な社会化がなされるわけである。

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ウソつきの心理学(渋谷昌三・河出書房夢文庫)
本体=514円(税抜き)税込=555円
ISBN:978-4-309-49544-6
14.8×10.6×1.4cm
全ページ=224page
2004/7/20発売
但し、河出書房では重版未定・在庫なし。
入手には、古本屋or internetなど・・・

ここに、実名で篠原誠が詐欺ダマしとして題材として載っている。
田中角栄との子供つき篠原誠ツーショット写真。
いずれ、その写真をデジカメcoolpixL32で撮ってアップロードする予定。
??億円がうなれば、臭いを嗅ぎつけてハエ・ハイエナ・組員・詐欺師は寄って来ます。
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どういう経緯で、億単位を、
服役し出所したばかりの詐欺師にポン~と貸す事になったのか?・・・
また、
ウソつきの心理学・週刊読売(1985年11月号)にものる超有名詐欺師篠原誠なのに・・・・・
2013年6月に結婚して三木誠に改姓。だから、まだ当時は篠原誠だった。
大川きょう子、さて、結婚詐欺的に?億円を差し出したのか?
そのあたり⇒が詳細にならないと・・・・??
民事訴訟で明らかになるだろう。
また、刑事告訴はない。

ハイエナ篠原誠前科12犯、きょう子に隆法から慰謝料が??億円入金を
嗅ぎつけて、巻き上げる~
東日本大震災は、宗教と同じくダマしの餌食にされている。
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■大川きょう子(46)陸前高田で「160ヵ所トイレそうじ」■
週刊文春2012.3.1号47page~48ページ

「世の中にこんなにいい人がいたのかと思える人たちに出会えたし、ありえないような助け合いの場面をたくさん目にしました。
この場所に来て、本当によかった」
そう熱っぽく語るのは、幸福の科学の総裁夫人・大川きょう子さん(46)だ。
昨年2011/2月、教団と夫の大川隆法総裁(55)を名誉棄損で訴え、教団と完全に決裂したきょう子は、
いま、氷点下の寒さが続く岩手県陸前高田市で被災者の支援活動を続けている。

昨年2011/6月、感染症対策、生活弱者の補助、被災者雇用の3つを目的とするボランティア団体
「みちのく衛生の会」を立ち上げた。
陸前高田の事務所は、運送会社の敷地の一画を借り、自分たちで建てた小さなプレハブだ。
最初に取り祖んだのは、避難所やがれき撤去の作業現場など、約160ヵ所の仮設トイレの掃除と消毒だった。
「感染症対策はトイレ掃除から、というのは衛生学の基本です。雑巾を使い回しできないので、毎日2チームで百枚ずつ用意していました」(きょう子)
近隣の気仙沼や大船渡の仮設トイレよりキレイだと評判になり、心配した感染症の流行もなかった。

作業着で避難所を回れば感謝はされるが、
「あの、幸福の科学の!!」
と気づく人は、ほとんどいなかったという。

■経費は8000万円■

ほかにも、自分たちで車を用意して、
被災者が役所や銀行などへ出かける際の「用足し送迎サービス」を行っている。
仮設住宅には1人暮らしのお年寄りが多いが、当初、利用者の行き先は歯医者が多かったという。

「痛くても行く方法がなくて、みなさん我慢してたんですね」(きょう子さん)

マイクロバスで仮設住宅と病院やスーバーの間を定時に往復もしている。
時には、温泉旅行に招待することも。

■利用者たちはみな、
「津波で車を流されたので、交通手段がない。本当に助かってますよ」
「市役所は、大川さんを表彰しなきゃいけないよ」
と感謝をロにする。

「陸前高田は被害が大きかっただけでなく、復興も遅れています。ここではまだ生きていくだけで必死なんです」(きょう子)

自身は、隣接する大船渡市の借り住まいから通勤している。
2LDKの、一戸建てで、家賃は7万円とか。
しかし丸1年となる今年5月末で、すべての活動を終えることに決めたという。理由は、資金問題だ。
「経費は1年間で、ちょうど8000万円になる計算です。一番大きいのは人件費」
多いときで20人を越える被災者をスタッフとして雇い、給料などすべての経費を自分の蓄えから払ってきたためだ。
行政からは、被災者の雇用に伴って総額450万円ほどが支給されるだけ。
それ以外の補助は、まったくないという。

2011/7月に「週刊朝日」が、こうしたボランティアの様子を報じると、
隆法総裁は、さっそく担当記者や編集長の守護霊を呼び出した。
その霊言によれば、きょう子も朝日新聞も「蝿の王」ベルゼベフに操られているそうだ。

きよう子にその事を尋ねると、
「パカバカしいですね」
と笑うのみ。
仕事が忙しくて、教団の情報にはほとんど接していないという。
だが東京に戻れば、隆法総裁と教団を相手にした7件もの訴訟と向き合わなければならない。
5人の子供と会えない状態も続いていて、離婚訴訟では面接権も大きな争点となっている。

▲今年2012/5月になって、寄付金を集められる一般財団法人として登記、活動を継続しているそうです。
今後は非営利の公益法人資格をとる予定。

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■みちのく衛生の会■

は、東日本大震災支援にあたって、
特に被害甚大だった陸前高田市を中心に支援活動を行なっています。
活動は、感染症予防と生活弱者の補助に貢献することを目標にしています。

具体的な活動としては、
避難所のトイレ掃除、無料の買物代行サービス、浸水した建物の消毒、側溝・ガレキの消毒によるハエ退治、仮設住宅と県立病院を結ぶ通院支援バスの運行、用足し送迎と活動の幅を広げております。

みちのく衛生の会は、
こうした活動を、被災者を雇用して行ないます。
雇用することで、被災者に給料という形で援助をし、働く喜びをもって被災者に立ち直ってもらおうという主旨で活動を始めました。

活動を本格化させた当初2011年7月26日時点では、みちのく衛生の会は、
一関市で男性3名・女性3名、陸前高田市方面で男性8名・女性7名計21名、

活動内容を縮小し移動支援に特化した2012年4月1日時点では、
陸前高田市にて男性2名・女性3名、計5名を雇用しております。

公益財団法人 みちのく衛生の会 代表理事大川きょう子

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幸福の科学から出した本は当然ですが、
すべて絶版になった~

①「愛を与えることの幸福」(海竜社・1991年)
②「開運の方法」(幸福の科学出版・1991年)
③「ひとにぎりの愛を」(幸福の科学出版・1992年)
④「母としての幸福」(幸福の科学出版・1993年)
⑤「ほんとうの自分をさがして」(幸福の科学出版・1994年)
⑥「運命を開く鍵」(幸福の科学出版・1994年)
⑦「未来への贈りもの」(幸福の科学出版・1995年)
⑧「母親の価値ある仕事」(幸福の科学出版・1996年)
⑨「未来をはぐくむ教育法」(幸福の科学出版・1997年)
⑩「守護霊の秘密」(幸福の科学出版・2006年)
⑪「文殊菩薩について」(宗教法人幸福の科学・2007年)
⑫「矢島町の思い出」(宗教法人幸福の科学・2007年)
きょう子=秋田県由利郡矢島町(現・由利本荘市)出身/矢島町立矢島小学校卒
⑬「人生すべてに学びあり」(幸福の科学出版・2007年)
⑭「「幸福実現党」党首の決断」(幸福の科学出版・2009年)

しかしながら、
本当に大川きょう子が書いたのか?
orは、インタビューQ&Aして、
当時きょう子専属ゴーストライダーが書いたのか?は不明です。

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・・・・昔の古い記事・・・・大川隆法(滑走路)と大川きょう子(セスナ機)の離婚の離陸開始

■■ FACT-online ■■

総選挙を控え、旗色の悪い自民党公認候補の「宗教団体詣で」が目立っている。
かつての支援教団・霊友会が選挙から手を引き、立正佼成会は民主党の応援に回っている。

代わって浮上してきたのが、
政界進出を目論む幸福の科学(教祖=大川隆法・総裁)だ。
昨年の参院選で当選した自民党の丸川珠代の選挙応援を手始めに、
次期衆院選では信者の擁立に動いている。

86年に大川が創始した幸福の科学は現在、全国に27の「精舎(しょうじゃ)」と呼ばれる礼拝施設を建設し、300余の支部を持つ。教団職員数は1千人を超え、
その教団内で今、「変事」が起きている。

★★きょう子の事変★★

88年に大川の妻となり、「総裁補佐」「副総裁」として教団を指導してきた
大川きょう子夫人が突如、すべての役職を退いたからだ。
同時に、
教団のホームページから、夫人の経歴や業績を紹介するコーナーが削除され、
幸福の科学出版から出版されていた夫人の著作もすべて撤去された。
さらに、
教団職員から信者に対して「『先生』は大川先生ただ一人。
今日からきょう子を『先生』と呼ぶ必要はない」とのお達しもあったという。


夫人は「文殊菩薩」「ナイチンゲール」の生まれ代わりとして崇められ、
女性信者組織「アフロディーテ会」会長を務めてきただけに、
信者の間に動揺が走ったとしても不思議ではない。

関係者によれば、
大川は8月末に千葉県内の支部で行った説法の中で、
夫人を「勇退」させる理由を、次のように説明したという。

「妻との間で布教方針をめぐる対立があり教団内に混乱を招いている……、
私は布教活動に命を投げ打つ決意だが、

妻はそれに反対している……、

世界布教を実現するためには信仰を
エル・カンターレ(「大川氏自身の意識体」とされる)に
一本化する必要がある……」

この説法を受けて、
教団のホームページだけでなく、布教施設からも
きょう子のすべての足跡が「消去」されたという。

夫人の出身地である秋田県は、
教団の「準聖地」(「聖地」は大川氏が生まれた徳島県)。
そこには田沢湖正心館のほか文殊館が建ち、
文殊像やナイチンゲール像があったが、それらもみな撤去された。

大川と夫人の間で、どのような協議がなされたかは不明だが、
教団の「女神」として大川に次ぐ信仰の対象だった
夫人は「(勇退と同時に)一信者の扱いになった」(教団関係者)という。

「文殊菩薩」や「ナイチンゲール」の生まれ変わりが、ある日突然、一信者に降格とは理解し難いが、「大川教祖の決定は絶対」ということのようだ。


きょう子は65年生まれ。東大文学部在学中に入会し、
卒業と同時に大川氏と結婚、5人の子宝に恵まれた。
最近では夫人単独の講演を行い、著作物も増えていた。
大川氏に次ぐ権限を握り、教団職員の人事などにも影響力を及ぼしていたようだ。

「先生は大川先生ただ一人」というお達しは、
教団組織に大川と夫人という「二つのヘッドはいらない」ことを示している。

それにしても、

「女神」から信者に降格された夫人は、
今後どのように教団にかかわっていくのか……。
新興宗教に接近する立候補者は、教団の内情にも目を配るべきだろう。

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■大川総裁が著書で予言した「幸福の科学」の茨の道■

宗教法人・幸福の科学で変事が続いている。
幸福実現党の都議選惨敗を受けて、
大川隆法総裁自ら党総裁に名乗りを上げた。教祖が政党の最高責任者を兼ねるリスクは計り知れないが、

大川は「これは神仏の戦い。日本軍のように『戦艦大和』の後出しはしない。正々堂々と戦う。勝負はこれからだ」と演説し、教団の総力を挙げて総選挙を戦い抜く決意を示した。

○○○○年7月末、
大川は『金正日守護霊の霊言』なる著書を刊行。「金正日の潜在意識にアクセスした」として、「ミサイルのボタンを押すときに『良心の呵責』などない」「ミサイルを皇居に撃ち込めば日本人は衝撃を受ける」「命令は録音してあるので私が死んでも核は発射できる」などと語らせている。
荒唐無稽といえばそれまでだが、元信者は

「霊言集は信者にとってはバイブル。
大川も信者も北朝鮮の核攻撃が必ずあると信じている」と言う。

○○○○年8月9日、
幸福実現党は新聞各紙に大川氏の写真入り広告を掲載。「今のままでは、愛する人も守れない」「北朝鮮は200発以上のミサイルの照準を日本に合わせ、核の準備まで進めている。憲法9条を見直し、真の平和を手にしたい」とのメッセージを送った。

「大川は
99年の『ハルマゲドン』を恐れたように『終末思想』の持ち主。
北朝鮮の核攻撃を信じ込み、
日本を救済する宗教的使命感から政治に乗り出した」と元信者は言う。


さらに大川は『明治天皇・昭和天皇の霊言』なる著書も出版。「両天皇を招霊し、この国の現在、及び将来のあり方を問うてみた」との触れ込みで、「幸福の科学の教えを取り入れて、国体をつくれ」「天照大神は幸福の科学を全面的に支援している」「明治帝には、ここ数年、さまざまなアドバイスをいただいている」などと書いている。

これには公安当局も仰天し、「大川氏が右翼や他教団から攻撃を受ける可能性がある。街宣活動などは注意したほうがよい」と忠告した模様。このためか、大川氏の出席が予定されていた、東京12区に出馬する饗庭直道元党首の選挙講演会が急遽、中止になった。「東京12区は公明党の太田昭宏代表の地盤で、創価学会信者との衝突が懸念されていた」(教団ウオッチャー)

先の天皇の霊言集で、大川氏は幸福の科学の前途を「茨の道」と予言、「政治団体や宗教団体、右翼、左翼、さまざまなものからの攻撃が予想される」「国を救いたい気持ちは、必ずしも報いられない」「包囲殲滅するつもりで、逆に包囲されてしまうのでは」と悲観論を書いている。

○○○○年8月13日、幸福実現党が総選挙から完全撤退を検討していることが判明。「民主党政権を阻止するため、あえて身を引き自民党系議員の支援に回るのも選択肢」(饗庭元党首)と説明するが、実際は大川ら多数の公認候補の「玉砕」を恐れているのではないか。茨の道は始まっている。

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大川総裁は、、
「金正日の守護霊」と称する者と対話し、守護霊が「核の力で3年以内に韓国を併合し、日本向けのミサイルは日本を怖がらせ米国の気力をそぐ陽動作戦」と語った

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天上界の予定によりますと、
与謝野馨は、今回の総選挙後、
おおむね半年後に、御帰天をされる予定ですので、

天上界の予定とは、大川隆法の予言です。
半年後に「天上界の予定」がハズレた場合は、、
それとも今までハズレ続けた数々の予言と同じく、、、

「天上界の予定が変わった」と言うのだろう。

要するに
大川隆法の予言では
総選挙後6ヶ月で与謝野馨が死亡することになる。
さて、はっきりと動画が残るわけだが、当たらなかったらどうするか?

それとも、
今までの霊言と同じくなかったことにするのだろう。

①「天上界の予定が変わった」
②今までの霊言と同じくなかったことにする。

この①&②、なら、いくらでも予言、霊言は言える。
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★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

PJ藤倉善郎記者が、語る。。。

1991~1997=16件訴訟
16件合計請求額=30億2500万円
16件獲得額=410万円
9件敗訴+1件取下+1件和解+5件410万円=16件

訴訟乱発、、訴訟カルト、


【PJニュース 2009年9月18日】
これまで、幸福の科学を母体とする幸福実現党の選挙戦について6本の記事を書いた。そこで全く触れてこなかった論点がある。

「幸福の科学はカルトなのか」についてだ。
私自身は、カルトである可能性を念頭に置いて警戒すべき対象であると考えている。

「カルト」の定義は、これと決まったものはない。辞書の上では「正統ではない集団」「熱狂的な集団」といった説明がつく場合が多いが、カルトの社会的問題性
の実情にまったくそぐわない。カルト問題に取り組む人々の間でコンセンサスとなっている


★判断基準は、「人権侵害などの反社会的要素があるかどうか」である。


例えば
①統一協会は、正体を隠して勧誘活動を行い、先祖の霊やなどを口実に信者を脅して高額な商品を売りつけたり献金を迫る。
これが違法であり反社会的行為であることは、民事訴訟で結論が出ており、
現在は刑事裁判も始まっている。

しかし、
反社会的かどうかは裁判上の形式論ではなく、
社会的価値判断だ。

裁判事例がなくとも、精神的な教えを用いながら人の精神や行動を束縛し、
その手段や結果に反社会的な要素があれば、
記者はカルトと呼ぶ。

では、
幸福の科学は、どこが反社会的なのか。
①まず第一には、「新聞はみんな腰抜け=幸福実現党の選挙戦2009(4)」で書いた1991年の「フライデー事件」が挙げられる。
彼らは講談社に乗り込んでハンドマイクでがなりたて、電話やFAX攻撃で会社業務をまひさせた。第二には、フライデー事件も含めて、幸福の科学が常軌を逸した額の損害賠償を求めて訴訟を乱発してきた点だ。


フライデー事件では、教団が原告となった訴訟のほかに、
全国7つの地方裁判所で信者約3000人が講談社を相手取って訴訟を起こした。
賠償請求額の合計は約30億円。
教団が原告となった訴訟については教団が勝訴したが、
個々の信者による訴訟は、フライデーの記事で実名を挙げられた作家・景山民夫と女優・小川知子について計60万円の賠償が認められただけで、
ほぼ全敗。


これによって、団体が名誉を傷つけたとしても個々の構成員に賠償請求権はないとする判例が確立された。
★法曹界からは、
「反社会的団体の濫訴を抑制する判例ができたのは、当時、幸福の科学が裁判をやりまくってくれたおかげ」と皮肉る声すら聞こえる。


この頃の幸福の科学は、メディア以外に対しても手当たり次第に牙をむいた。
①1993年には、暴露本を出版した元幹部に対して、幸福の科学が1億円の支払いを求める訴訟を起こした(最高裁で敗訴)。
②95年には、教団の施設建設に反対していた栃木県の住民団体代表者を相手に、1億円の賠償金を求める訴訟を起こした(その後、取り下げ)。

③97年には、幸福の科学から献金を強要されたと主張する被害者の訴訟代理人・山口広弁護士に対して、8億円の損害賠償を求め提訴した(最高裁で敗訴)。
山口弁護士を訴えた訴訟の判決で
東京地裁は、提訴を「教団を批判する者に対する攻撃、威嚇の手段として訴訟制度を利用」しようとしたとして、
逆に幸福の科学に100万円の賠償支払いを命じている。高裁で、この判決が確定した。


宗教団体にも訴訟を起こす権利はある。しかし「攻撃、威嚇の手段として訴訟制度を利用」するのは、どう考えても反社会的だ。もはや

“訴訟カルト”と呼ぶ以外ない。

幸福実現党の取材で東京・五反田の教団施設を訪ねた際、党の広報担当者とこんなやりとりをした。

①広報「藤倉さんは、政治よりも宗教を取材している方なんですね」
─はい。カルト問題を取材しています。

②広報「うちもカルトなんですか」
─そうですね。

③広報「うちは、もう10年くらい、訴訟もほとんどなく、おとなしくしているんですよ」

近年、ほとんど訴訟がない(新潮社を訴えたケースはある)とは言え、本格的な批判報道がない中でのことだから、“安全宣言”の根拠としては不十分だ。批判報道がない現状自体が、そもそもフライデー事件の威嚇効果なのではないか。

幸福の科学の関連サイト「幸福の科学 法務室」には、彼らの対メディア闘争の歴史が記されているが、高額な賠償を請求した濫訴への反省はない。
フライデー事件の頃にはなかったインターネットが普及し、一般市民の言論の幅が広まっている現在だからこそ、

反省なき“訴訟カルト”は、よりいっそう警戒されるべき存在だろう。

上記の会話の後でも、幸福実現党の広報担当者はにこやかに取材を受け入れてくれている。これまでの記事について、とくだんのクレームはない。選挙後は、党の人事や方針の刷新作業中との理由で一時的に取材が止まっているが、選挙期間中以外の平常時の取材にどう向き合ってくれるのか。一般社会との関係性や良識が重視される政治活動に身を投じたことで、教団の社会性に変化は見られるのか。本当にもうカルトではなくなったのか。そういった点を見守っていきたい。【了】

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2015年4月14日火曜日

オウム真理教・麻原ファミリー[松本知子・松本麗華~]の画策と混乱・・・上祐史浩の戦略

9000文字数

麻原彰晃の三女アーチャリー[松本麗華]で出版本し全国公開による布石


麻原彰晃王国の七人衆⇔麻原彰晃・松本麗華・松本知子・上祐史浩が影響力保持
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■「三女の本(止まった時計)は嘘ばかり」麻原彰晃四女が語る“麻原一家”の今■
2015/6/6(週刊FLASH6月16日号)

「麻原の死刑は安保法案審議中におこなわれるという情報がある。
世間の関心をそちらに向けるためだ。
しかも今年に入って死刑執行はまだない。
安倍内閣ならやりかねない」(社会部記者)

こんな話が流れるなか、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(60)の
四女・聡香(仮名26)が、本誌インタビューに答えてくれた。

四女聡香は5年前(2010)に著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店)を出版、
家族の中で唯一被害者に謝罪すべきとの立場を鮮明にしてきた。

だが、今年2015/3月、
アーチャリーこと三女松本麗華が『止まった時計』(講談社)という手記を出した。
また、ブログでも情報を発信している。

「1995/3月20日の地下鉄サリン事件後、20年の日で、取材は一段落すると思っていました。
でも、三女が本を出した事で変わった。
(三女松本麗華の)本はまったくフィクションと言っていい。
中には尊師は凄いと書いてある。
オウムを否定する言葉もない。
彼女(三女松本麗華)はオウム的な価値観の中で今も生きていると思います。
父については精神疾患を患っていると強調している。

つまりこの本は、父の死刑執行を回避する事を狙って出したのでしょう。
これを元信者さんたちが読んで信仰を取り戻すきっかけになりそうで怖いです」(四女聡香26)

麻原の家族は現在、みなバラバラで生活しているという。
➊妻の知子は次男と共に埼玉県内にあるアレフ本部の近くで暮らし、➽知子・次男group
❷次女と三女(松本麗華)と長男も近所の別宅に住んでいる。➽次女・三女(松本麗華)・長男group
❸長女と四女(聡香)は一人住まいだ。➽長女1人住まい・四女(聡香)1人住まい

公安調査庁は、
■三女アーチャリー(松本麗華)がアレフの幹部になっていると認定■、
また、麻原が亡くなった場合は、
長男と次男が新たな教祖として、教団を継承するとみられている。

長女は別として、
聡香以外は、いまだどっぷりオウムに浸かったままと見ていい。

「母親と三女(松本麗華)は絶縁状態になっています。
母親たちは今でも教団のおカネで暮らしています。
三女(松本麗華)にも取り巻きの元信者がいて、彼らの援助で生活している。
父の攻撃的な性格をもっとも継承したのは三女(松本麗華)でしたね。
だから5歳で後継者に指名された。

でも、のちに後継者は弟たち(長男・次男)に移りました。
教団は長男と次男が継承するというけど、彼ら(長男・次男)が宗教家になりたいなら、別の宗教をやるべきです。
オウムという土台の上に何を積み上げても、私は間違うと思っています」(四女聡香26)

かつての教団内部については?

「教団を支配していたのは性と暴力でした。
父は女性の幹部信者にはほとんど手を出していました。
【父の子供は全部で15人いるはずです】。

父だけでなく、
幹部の人たちにも、みな愛人がいた。

性のイニシエーションだと言って、結局、父も幹部もやりたい放題だったんです。
暴力については、脱会した信者が連れ戻された時、逆さ吊りの罰を与えられたのを見ました。
私(四女)が見た時にはすでに遺体です。
これは事件化していないはず。幼い頃でしたが、強く印象が残っています」(四女聡香26)

ここまで語ってくれた四女聡香。
きっぱりと教団との距離を置いているのは四女聡香だけだった。

(2015週刊FLASH6月16日号)

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オウム真理教勢力
▼活動地域=日本・ロシア連邦▼

2015年現在■信徒=1650人■
▼国内
出家信徒=約300人
在家信徒=約1350人
▼国外
ロシア人信徒ら=約160人

■拠点施設
▼国内=15都道府県下32か所
▼国外=ロシア連邦内に数か所

【公安調査庁公表】
2007/11月:出家500人+在家1000人=1500
2011/10月:出家400人+在家1100人=1500
2013/06月:出家300人+在家1350人=1650

出家の減少分を在家増強で補う。
2015現在の教団の資産額=6億9000万円(現金+預貯金など)
※注意=Aleph(主流派)+ひかりの輪(上祐派)=オウム真理教としている。
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■組織形態,意思決定機構■

2015現在、教団の中心的内部組織として、
➊「Aleph」の名称を用いて活動する集団
❷「ひかりの輪」の名称を用いて活動する集団

が存在しいずれの信徒も、
「オウム真理教の教義を広め,これを実現する」との共同目的を有して活動しているところ、
➊「Aleph」においては「合同会議」が、
❷「ひかりの輪」においては「役員会」が
それぞれ設置されており、麻原の意思に従い、また麻原の意思を推し量りながら、
組織運営に係る決定[決定機関]を行っている。

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■麻原ファミリーをめぐる教団運営の混乱■~妻⇔三女(松本麗華)・長男

教団は、麻原の長男・次男を「教祖」とする新体制を発表していたが(平成8年1996年/6月)、
「宗教団体・アレフ」への名称変更に伴い(平成12年2000年/2月)、「新団体は教祖を置かない」との規定に基づき,
表向きには教祖と位置付けないものの、2人[長男/次男]を崇拝の対象としていた。

しかし、
平成25年2013年/10月以降,麻原の妻(◆松本知子◆⇒改名松本明香里)は、
主流派の一部の幹部信徒と共に、《次男》を教団の活動に復帰させる事を画策した。

この計画を知った麻原の三女(◆松本麗華◆)は、
主流派の幹部信徒を仲介して,観察処分下にある教団の運営に関わらせる事に反対している!と一部の幹部信徒に伝えると共に、
この計画を進めようとする信徒らを批判する内容の文書を全国の幹部信徒に送付した(2014/1月中旬及び2月中旬)。

こうした中、
主流派の意思決定機関である「合同会議」は、三女(◆松本麗華◆)の意向に同調して行動した幹部信徒らに対し、
教団を分裂させる行動に当たるとして除名処分を行った(2014/5月)。

同除名処分をめぐって、
信徒の中には、異を唱える者も現れ,除名反対派と除名賛成派に分かれて信徒間の軋れきが顕在化し,
除名反対派の幹部信徒が,相次いで長期修行や除名処分を命じられるなど・・・

麻原ファミリーの教団運営への関与に端を発した混乱が,教団全体に波及する状況となった。
さらには,主流派が長男の誕生日に合わせて開催したイベントについて、
◆長男◆は,氏名や写真の使用差止めと計4千万円の損害賠償を求め、主流派に対して訴訟を起こしており(2014/10月)、
今後も、教団運営に影響を及ぼす麻原ファミリーの行動が注目される。

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■教団の武装化の起点・契機■~次女[3回目の再審請求]

1990年(平成2年)2月施行の衆議院議員総選挙に落選した事などを契機に教団の武装化を進めた。
▼松本サリン事件=死者8人+負傷者143人
▼地下鉄サリン事件=死者12人+負傷者3000人以上
などを引き起こし、
1995年(平成7年)5月16日に殺人及び殺人未遂容疑で麻原彰晃を逮捕⇒その後13事件で起訴され、
2006年(平成18年)9月に死刑判決が確定した。⇒2015現在東京拘置所(60歳)にいる

2015現在東京拘置所に収監されており、
2013年(平成25年)5月には、◆次女◆が3回目の再審請求を申し立てたものの、
2014年(平成26年)6月、東京地方裁判所は同請求を棄却した。
なお,同月(2014/6)、麻原の弁護人が東京高等裁判所に即時抗告している。

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▼週刊朝日2015年3月27日号より抜粋▼.dotより

●2000年/1には《長女と長男》が茨城県内で生活中の時に・・、
次女と三女(◆松本麗華◆)が信者と共に乗り込んで長男を連れ去るという事件が発生した。
教団内の権力闘争が明るみに出たほか、
(麻原彰晃の)子供たちの間でさまざまな不和が生まれた原点ともされる。

2000年(平成12年)1月に長男を連れ去ろうとした事件で、
2000/2月19日に松本麗華は逮捕され、保護観察処分となった。

●2004年には三女(◆松本麗華◆)が和光大学(東京都町田市)に入学を拒否されたとして提訴
⇒東京地裁は違法と認定した。

●長男は昨年2014/10月に「教祖となるかのように扱われた」とアレフを提訴。
教団とは無関係だと主張している。
訴状によると、アレフは、長男の誕生日に関係する催しを長男に無断で開催し、催しの中で長男の氏名を使用したという。

三女(松本麗華)も2014/12月に「アレフ幹部と認定されたのは不当」として、
国(公安調査庁)の他、1面で報道した産経新聞とアレフを訴えた(⇒しかし、訴訟状況はまだ出てない)。
長女、次女は沈黙を守っている。

※週刊朝日2015年3月27日号

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▼■松本麗華■▼

16歳の時に教団から離れ通信制の高校に入学し
大学に入学して卒業した[心理学/心理カウンセラーの勉強]。

松本麗華は、
2015現在は次女と長男(弟)と親代わりの人χと同居している。
他の兄弟とはつながりがない。
母(松本知子=改名/松本明香里)とは断絶状態にある。

①親代わりの人χ=??知恵泉??~オウムとの関連性不明
②次女[1981年生れ2015現在34歳]
③三女=松本三女アーチャリー松本麗華[1983年生2015現在32歳]
④長男[1992年生2015現在23歳]

2015/3ニュースZEROの取材の中で、
松本麗華(31)が被害者の方に向けてのお詫びの言葉が全くなかった。
かつ麻原彰晃への溺れる愛情の表現コトバになっていた。
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麻原の家族は現在、みなバラバラで生活しているという。
➊妻の知子は次男と共に埼玉県内にあるアレフ本部の近くで暮らし、➽知子・次男group
❷次女と三女(松本麗華)と長男も近所の別宅に住んでいる。➽次女・三女(松本麗華)・長男group
❸長女と四女(聡香)は一人住まいだ。➽長女1人住まい・四女(聡香)1人住まい

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■麻原彰晃+松本知子⇒子供6人■

▼出産順▼
➊長女
1978年生(2015現在37歳)
ホーリーネーム=ドゥルガー
❷次女
1981年生(2015現在34歳)
ホーリーネーム=カーリー
❸三女
1983年生(2015現在32歳)
ホーリーネーム=アーチャリー
本名=松本麗華
2013年7月からブログを立ち上げて麻原彰晃に関する内容を書いている。
本を出版《止まった時計/麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記》講談社1512円
上祐と同じく、民間TV・NHKに良く出演する。
❹四女
1989年生(2015現在26歳)
ペンネーム【松本聡香】で自叙伝を出版/4780円
《私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか/地下鉄サリン事件から15年目の告白》徳間書房
四女の過去では、自殺未遂やネットカフェ難民、ホームレスなどを経験した。
❺長男
1992年生(2015現在23歳)
教団から皇子の称号を与えられる。しかし・・・・

長男はアレフに対して
写真と名前の無断使用禁止を求める提訴を起こし、名誉棄損で4000万円の請求をした。
長男は現在大学3年生=関西の大学に進学した。
❻次男
1994年生(2015現在21歳)
春日部共栄中学校に合格したが、《麻原彰晃の息子》という理由だけで入学を拒否された。

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■麻原彰晃+愛人A,B,C,D,E,F....⇒6人の愛人の子■内訳=石井久子が3人+他の愛人などで3人

愛人A▼石井久子(2015現在51)
ホーリーネーム=マハーケイマ正大師⇒既に脱会した。
麻原彰晃との間に3人の子を生んでる。
3=双子+1
子供たちとは暮らしておらず、神奈川県近郊で父親と2人で暮らしている。
2000年11月に懲役3年8ヶ月の服役終えて出所。一時精神を病む。
2015現在は訪問介護の仕事しながらマンションで父親と2人暮らし。

▼飯田エリ子(2015現在50)
ホーリーネーム=サクラー正悟師⇒既に脱会?。
2002年8月に懲役6年6ヶ月の実刑を終え出所。出所数ヶ月前に脳出血。現在は都内の実家で暮す。
右半身麻痺。リハビリのため実家(府中市?)と病院を往復する毎日。
現在も後遺症が残り車イスと杖が必要な生活を余儀なくされている。

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■苦悩する松本死刑囚の25歳四女「父の死刑は絶対に執行すべき」■
2015/3/17北海道新聞

1995年3月の地下鉄サリン事件から20年を迎えるのを前に、
松本智津夫死刑囚(教祖名麻原彰晃60)の四女(25)が2015/3/17日までに共同通信の取材に応じ
「謝って済むものではないが、被害者の方には、いつも生きているだけで申し訳ないと思っている」(四女)
と心情を明かした。
松本死刑囚には複雑な感情を示しつつ、被害者にとって事件が終わらない事を挙げて
「父の死刑は絶対に執行されるべきだ」(四女)と述べた。

現在は教団と関係を絶ち、家族と離れ生活している。
松本死刑囚は地下鉄サリン事件から約2カ月後、
当時一緒に生活していた山梨県上九一色村(現甲府市、富士河口湖町)の教団施設で逮捕された。

※四女への取材場所=東京都内
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■ひかりの輪の上祐史浩の戦略■

・“麻原隠し”の一層の徹底を図る上祐派
・麻原の影響力を保持している実態に変化なし
・宗教色を払拭して観察処分逃れをもくろむ取組を継続

上祐派は。平成26年2014年に、上祐が自身の説法会や講演会などにおいて,
「『ひかりの輪』は宗教団体ではない」旨説明した上で、
報道関係者に施設の内部を公開し(2014/10月)、
特定の仏画を掲示していない事や祭壇を設置していない事をアピールするなど,、
各種メディアを活用して「脱麻原」の宣伝活動を展開した。

また、同上祐派は、「ひかりの輪」の設立(平成19年2007年)以来、
麻原や上祐が、麻原の化身であると説いた

➊釈迦牟尼
❷観音菩薩
❸弥勒菩薩

の「《三仏》の仏画を掲示してきたところ、
上祐が説法などを行う際に背景となる壁面には、
《三仏》の内、釈迦のみを掲示する事とした(2014/3月)。

しかし、
在家信徒が同上祐派の施設を訪問した際や、
聖地とする神社・仏閣などを訪問する「聖地巡り」においては
《三仏》の仏画を掲示していた事が確認されており、

これまで同様、上祐派の「脱麻原」の取組が,麻原の影響力を払拭したかのように装う“麻原隠し”である事が明らかとなった。
さらに「ひかりの輪」設立以来、
上祐が麻原のイニシエーションを継承する旨述べて導入、実施してきた宗教儀式については、外形的変更を加えつつも、
エネルギー移入を目的とする麻原のイニシエーションを維持しており、
依然として,麻原の影響下にある実態に変化がなかった。

上祐派は、メディア等を利用して、適切な組織運営をアピールしているが、
実際には、出家信徒の外部就労などによる賃金や高齢者の年金収入を吸い上げ、
出家信徒には数千円の現金だけを支給する教団特有の出家制度を維持している状況が確認されたほか、

上祐派が導入した「外部監査」と称する取組についても、帳簿検査すら行われていないなど、監査の実態を備えていないものであった。
さらに、同上祐派は地域住民に対して、活動拠点の施設を個人の自宅と装って、使用していた事も明らかとなるなど(2014/2月)、
同上祐派の組織体質が、依然として、欺まん的である事が明らかとなった。
また,同上祐派が資金源の一ッとしてきた「聖地巡り」と称する企画旅行をめぐっては、
これまでに少なくとも50回以上実施されてきたが、
同上祐派は,ウェブサイトで一般の参加者を募り、同事業の拡大を図っていたところ、
観光庁長官の登録を受けずに企画旅行を実施したとして,旅行業法違反の疑いで警視庁による捜索差押を受けた(2014/8月)。

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■オウム真理教■2015現在
拠点施設・国内=15都道府県下32ヶ所

①北海道⇒札幌施設
②宮城県⇒仙台施設
③茨城県⇒水戸施設

④埼玉県⇒北越谷・越谷大里・八潮大瀬・八潮伊勢野・大宮施設
⑤千葉県⇒野田・鎌ヶ谷施設
⑥東京都⇒西萩・保木間・足立入谷・新保木間・南鳥山施設
⑦神奈川県⇒横浜・横浜西施設

⑧愛知県⇒名古屋・豊明施設
⑨滋賀県⇒甲西・水口施設
⑩京都府⇒京都施設
⑪大阪府⇒生野・東大阪施設

⑫長野県⇒小諸施設
⑬石川県⇒金沢施設
⑭徳島県⇒徳島施設
⑮福岡県⇒福岡・福岡福津施設

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2015年4月13日月曜日

地下鉄サリン事件・麻原彰晃死刑執行2015になる?⇔監視カメラ死角域でラジコンヘリ・ドローン事件へ発展!!

26000文字数
石井久子・上祐史浩・麻原彰晃(さえぎる壁なし快進撃の35歳?)・村井秀夫(1995/4刺殺死亡)
妻(松本知子⇒松本明香里と改名/家裁)・娘(3女アーチャリー松本麗華)・飯田エリ子(撮影場所?・年=1990?冬)
※石井久子と飯田エリ子は日産火災海上保険での同僚仲間でオウム神仙の会(当時)に入会した同胞。
※松本麗華=2015現在31歳
※松本智津夫=2015現在60歳・現在東京拘置所
この↑写真↑の出典=[亡国日本の悲しみ]・月刊「マハーヤーナ」33page上/投稿写真より。



▼正大師(尊師の次の位)⇔正悟師は正大師より低い位▼
➊石井久子(最初の正大師)⇒彰晃との間に3=双子+1の子を産む愛人女帝
❷松本三女アーチャリー松本麗華(2人目の正大師)
❸松本知子(1991/6に3人目の正大師になる)
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▼■松本麗華■要約▼

16歳の時に教団から離れ通信制の高校に入学し
大学に入学して卒業している。
文教大学では心理学を学び心理カウンセラーの勉強をしていた。
※入学する際にも父の件で断られる事が多く
※2004年には和光大学(東京都町田市)に入学を拒否されたとして提訴⇒東京地裁は違法と認定した。

松本麗華は、
2015現在は二女と長男(弟)と親代わりの人と同居している。
他の兄弟とはつながりがない様です。
母親(松本知子=改名/松本明香里)とは断絶状態の様です。

①親代わりの人=??
②次女[1981年生れ2015現在34歳]
③三女=松本三女アーチャリー松本麗華[1983年生2015現在32歳]
④長男[1992年生2015現在23歳]

松本麗華は、
2015現在はアルバイトで生計を立てている様です(印税生活が降り注ぐ)が
アルバイトの周りの人は松本麗華の本当の事は知らないらしくがさてTV出演でどうなるか?
松本麗華は教団とは全く関係がないとは~取りあえず言っているが~
この実名公開のTV出演は世間の反応は??

2015/3ニュースZEROの取材の中で、
松本麗華(31)が被害者の方に向けてのお詫びの言葉が全くなかった。
かつ麻原彰晃への溺れる愛情の表現になっている。
これは、酒鬼薔薇聖斗が被害者への苦しみに反応出来ない体質だからこそ自ら謝罪していない事と同様な
容態と言う意味では、麗華は正直者である。

オウム地下鉄サリン事件では、
被害者は毒ガス・サリンで、今も苦しんでいる(神経毒で5体不自由)のだが~
ワレ(松本麗華)は別にサリン毒で曝露されてないし今も健康体ですし~~しらんぷりの様な感じ!!~
今後、本が売れれば豊かな生活で、時計はカネ潤滑油で動くでしょう!!

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■上田竜也と松下孝寿がAleph教団で【対外的に代表】としている■
これまで新代表を名乗ってきた野田成人に対して、教団役員の地位失効と代表地位無効を通告した[組織が完成化していない状況にある]。
現アレフ(Aleph)では、信者達が麻原彰晃尊師の娘であるアーチャリー松本三女を代表としたい空気がある~が正式な代表はいない[対外的代表が上田竜也と松下孝寿]。

▼アーチャリー▼の意味とは??
阿闍梨(あじゃり・あざり・サンスクリットでアーチャーリヤ、阿舎梨・阿闍梨耶とも音写)とは、
サンスクリットで「軌範」を意味し、正しく諸戒律を守り、弟子たちの規範となり、法を教授する師匠や僧侶の事である。

よって・・・【アーチヤリー】・・・
松本三女麗華が、いまだにアーチャリー三女松本麗華を、出版本(講談社/1512円)で使うのは、それなり麗華には戦略的意味がある。
今後の戦略的布石として、出版本で全国展開にて認知させる。
[対外的に、私は松本三女アーチャリーである!!と出版本にて公言した]

地下鉄サリン事件後・・・
上祐史浩・石井久子・飯田エリ子・松本一族などは、ホーリーネームを避けて戸籍的名前を使っているが、
この松本三女麗華だけは、例外で、麻原彰晃から与えてもらったホーリーネーム【アーチャリー】
を積極的に使い・・・生まれながらにして【アーチャリー】であると感化している。

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■苦悩する松本死刑囚の25歳四女「父の死刑は絶対に執行すべき」■
2015/3/17北海道新聞

1995年3月の地下鉄サリン事件から20年を迎えるのを前に、
松本智津夫死刑囚(教祖名麻原彰晃60)の四女(25)が2015/3/17日までに共同通信の取材に応じ
「謝って済むものではないが、被害者の方には、いつも生きているだけで申し訳ないと思っている」(四女)
と心情を明かした。
松本死刑囚には複雑な感情を示しつつ、被害者にとって事件が終わらない事を挙げて
「父の死刑は絶対に執行されるべきだ」(四女)と述べた。

現在は教団と関係を絶ち、家族と離れ生活している。
松本死刑囚は地下鉄サリン事件から約2カ月後、
当時一緒に生活していた山梨県上九一色村(現甲府市、富士河口湖町)の教団施設で逮捕された。

※四女への取材場所=東京都内
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▼週刊朝日2015年3月27日号より抜粋▼

●2000年には《長女と長男》が茨城県内で生活中の時に・・、
次女と三女(松本麗華)が信者と共に乗り込んで長男を連れ去るという事件が発生した。
教団内の権力闘争が明るみに出たほか、(麻原彰晃の)子供たちの間でさまざまな不和が生まれた原点ともされる。

●2004年には三女(松本麗華)が和光大学(東京都町田市)に入学を拒否されたとして提訴
⇒東京地裁は違法と認定した。

●長男は昨年2014/10月に「教祖となるかのように扱われた」とアレフを提訴。
教団とは無関係だと主張している。
訴状によると、アレフは、長男の誕生日に関係する催しを長男に無断で開催し、催しの中で長男の氏名を使用したという。

三女(松本麗華)も2014/12月に「アレフ幹部と認定されたのは不当」として、
国(公安調査庁)の他、1面で報道した産経新聞とアレフを訴えた(⇒しかし、訴訟状況はまだ出てない)。
長女、次女は沈黙を守っている。

※週刊朝日  2015年3月27日号

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上祐史浩⇒麻原彰晃死刑執行後の「後追い自殺」発生を危惧
2015年3月25日NEWSポストセブン

地下鉄サリン事件(1995/3/20)発生から20年。東京拘置所に収監されている教祖・麻原彰晃(松本智津夫・死刑囚)だが、【死刑執行のXデー】は着実に迫りつつある。
一部の法務省関係者からは1995年5月16日に麻原を逮捕した節目の今年2015/5月16日に、死刑執行の可能性があるとの情報も飛びだした。麻原彰晃逮捕日=1995/5/16。

オウム事件では逃亡犯の存在が麻原の死刑執行を難しくしていたが、
❶2011年12月31日に約17年間逃亡していた平田信が警察に出頭、
❷翌年(2012)には菊地直子と高橋克也が相次いで逮捕され、
特別指名手配されていた容疑者全員が捕まった。これで潮目が変わったと法務省関係者はいう。

しかし、死刑執行手続きのハードルがクリアされても、実際に執行すれば想定外の事態を引き起こす懸念がある。
オウム真理教では外報部長を務め、2007年にアレフ(2000年にオウム真理教から改称)と袂を分かった「ひかりの輪」代表の上祐史浩が語る。

「アレフが引き継いだ教義では、麻原は絶対の存在であり、不死身の身体を得ているとされる。これまで死刑執行が回避されてきた事も信者にすれば“尊師の超能力によるもの”と解釈されているのです。
私(上祐)の脱退後の8年間で麻原の神格化は着実に進行している。もし麻原が死刑にされれば、彼らにとってあり得ない話だけに不測の事態も起こりかねない」(上祐)

かつて麻原側近だった上祐が危惧するのは「後追い自殺」の発生だ。
「アレフの教義では『尊師の指示なしに殺人を行なうと地獄に堕ちる』とされるため、信者が殺人やテロに走る可能性は少ないと思う。一方、『救世主とその弟子たちが死んだ状態で共に見つかる』という麻原の予言がある。それを信じる者たちが死刑執行後、集団で後追い自殺するかもしれない」(上祐)

上祐が否定する「暴発」を懸念する指摘もある。
公安調査庁の調べでは、アレフとひかりの輪を合わせた信者数は2014年11月末で約1650人。
保有する現金・預貯金などの総額は約6億9000万円に達し、その大半を「本流」のアレフが占める。

2013年に公安調査庁が公開したアレフ施設内の画像では、
公安調査庁長官や職員、警察官らを写した写真の束がナイフのようなもので串刺しになっていた。

オウム信者の脱会支援に取り組み、1994年にはオウム真理教信者に殺害されかかった経験を持つ滝本太郎・弁護士は危機感を募らせる。
「信者らは『グルと心でつながっている』と信じ切っている。その中には精神状態が不安定な者が数十人はいると見ています。教祖を殺した日本社会はより恨まれますから、無差別テロも起こり得る」

(文中の死刑囚、受刑者、被告等の表記は略)
※週刊ポスト2015年4月3日号

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麻原彰晃 死刑執行のXデーとして逮捕日の2015/5月16日説も浮上
2015.3.23週刊ポスト

地下鉄サリン事件発生から20年。東京拘置所に収監されている教祖・麻原彰晃(松本智津夫・死刑囚)だが、
この4~5年、三女・アーチャリーも含め誰も面会できていないと言う。

現在の麻原の情報が秘匿される一方で、「死刑執行のXデー」は着実に迫りつつある。
一部の法務省関係者からは「今年の2015/5月16日執行説」まで飛び出した。

1995年3/20、地下鉄サリン事件をオウムによる無差別テロと断定した警視庁は、山梨県上九一色村の教団施設に度重なる強制捜査をかけ、1995/5月16日に麻原を逮捕した。
その節目に死刑執行の可能性があるとの情報だ。

■オウム事件では逃亡犯の存在が麻原の死刑執行を難しくしていた。

民主党政権時代の2012年6~10月に法務大臣を務め、在任中に4人の死刑執行命令書にサインした滝実(たき・まこと)は、
「私が法相を務めていた頃は、一連のオウム事件で逮捕できていなかった逃亡犯がいたために麻原の死刑を検討する段階になかった」(滝)と語る。

しかし、2011年12月31日に約17年間逃亡していた平田信が警察に出頭、翌年2012には菊地直子と高橋克也が相次いで逮捕され、
特別指名手配されていた容疑者全員が捕まった。これで潮目が変わったと法務省関係者はいう。

「3人は公判中だが、いずれも麻原の証言は必要ないとされている。最も進行が遅い高橋の一審も2015/4月に結審する見通しだ。共犯者の刑がすべて確定するまで死刑を執行しないのが原則だが、それはあくまで慣習で、すでに麻原から新たな証言を得る事は絶望的だ。法務大臣の署名があれば、死刑執行はすぐにでもできる」()。

現政権の思惑が執行を後押しするとの見方もある。大手紙政治部記者が言う。
「閣僚スキャンダルやアベノミクスの低迷で、政権の求心力低下は時間の問題。徐々に支持率が低下していく危機感が官邸内にある。だが、麻原の死刑を断行すれば“決断する内閣”という印象を国民に与えられる。上川陽子・法相はオウムの監視を目的とする団体規制法を存続させるなど、対決姿勢を鮮明にしている。決断する可能性は十分にある」(大手紙政治部記者)

それでも、
■刑事訴訟法479条■の問題が残る。
■「死刑判決を受けた者が心神喪失の状態にある時は執行を停止する」■としている。

拘置所や裁判所で意味不明な発言を繰り返し、面会者の前で自らの性器をいじるなどの「奇異行動」が目立っただけに、死刑執行の判断は慎重にならざるを得ない。

前出の滝(たき)は
「本当に心神喪失の状態にあるか否かは最終的には法務省が判断する事になる」(滝)と語る。
麻原の命は安倍首相の意向と法相、法務官僚の手に委ねられている。

(文中の死刑囚、受刑者、被告等の表記は略)
※週刊ポスト2015年4月3日号

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「オウムに先手を打たれた!!(警視庁大峯泰廣)」・残党信者が今も増加する教団の実態
2015年3月19日dot.※週刊朝日2015年3月27日号

地下鉄サリン事件の裁判では、教祖、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(60)と信者9人の死刑、信者4人の無期懲役が確定している。

未曽有のテロの“引き金”となったのは、迫り来る強制捜査だった。
当時、サリンの製造責任者だった土谷正実死刑囚など教団幹部の取り調べを行った元警視庁捜査一課理事官の大峯泰廣がこう語る。

「サリン事件の1週間前の日曜日、捜査一課捜査員200人全員が陸上自衛隊朝霞駐屯地に集められ、ガスマスクの装着訓練を極秘で行いました。これは強制捜査に備えたサリン対策の訓練でしたが、オウム側へ情報が事前に漏れてしまい、先手を打たれてしまった」(大峯泰廣)

公判記録などによると、
麻原は1995年3月18日、故・村井秀夫幹部を呼び、社会をかく乱して強制捜査を防ぐために、「ポア」(殺人を意味するオウムの概念)を指示。

大峯がサリン製造責任者だった土谷死刑囚らを取り調べた当時をこう振り返る。
「村井は1995/3月18日、『大至急、作らないとダメだ』と土谷に指示し、前夜に約700グラムのサリンができあがりました。それを1995/3/20日朝、霞ケ関駅などでバラまいたのです。麻原は『ハルマゲドン(人類最終戦争)が起こるから教団は武装しなければならない』と言い、VX・ソマン・イペリットガスなど多くの化学兵器を土谷に作らせていました。当時、土谷は後悔した様子は微塵もありませんでした」(大峯泰廣)

オウムは最盛期、在家信者1万4千人、出家信者1400人を抱える組織にまで拡大したが、公安調査庁によると、サリン事件後は信者数を千人まで減らした。

だが、組織の再興に取り組み、1999年に1500人まで回復。その後も微増の傾向を示している。
2007年、オウムは現在「アレフ」を名乗る主流派と上祐史浩(52)が率いる「ひかりの輪」の両派に分裂。
昨年2014の信者数は両派を合計して1650人。いずれも依然、麻原の影響下にあるとされる。

昨年2014の資産額は両派を合計して6億9千万円。
2000年と比べて17倍以上の増加となった。
アレフではお布施を集め、ひかりの輪では寺院を巡るツアーを企画するなどして、積極的に資金源を確保しているという。

東京都足立区でオウム対策の住民運動を行う男性Aはこう語る。
「施設に出入りしている信者数名が、駅で若いころの麻原彰晃の写真を眺めていました。近所の女子大生が、『ヨガに興味はないか?』と誘われたこともありました。信者は何をやっているかわからず、恐ろしい。早く解散してほしいです」(住民男性A)

なぜ、あれだけの凶悪事件を起こした団体が、求心力を持ち続けているのか。
「新しく入信する人たちの動機は、『悪の組織だと思っていたけど、教義を聞いてみたら、スゴイことを言っているじゃないか』というもの。単純に、『頭のおかしな集団がいて、危険だから監視しろ』と責め立てるだけでは、問題は永遠に解決しない。客観的な視点を踏まえた分析が必要です」(元信者B)

2012年6月、最後に逮捕された高橋克也被告(56)の裁判員裁判が2015/4月にも結審し、
その後~

▼▼死刑囚らの死刑執行のXデーがいよいよやって来るとされる。▼▼
「最初の執行は教祖、麻原になるのではないか」(司法関係者C)

(本誌取材班=上田耕司、牧野めぐみ、原山擁平、福田雄一、今西憲之)
※週刊朝日2015年3月27日号

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【サリン】
・分子式=C4H10FO2P 示性式 ⇒(CH3)2CH-O-P(CH3)(=O)F
・密度d=1.1g/cm3 ⇒ [水より少し重い液体]
・モル質量=140g/mol
・融点mp=ー56℃
・沸点bp=158℃
・不明データ⇒気化熱[???kJ/mol]・粘度[?mPas]・双極子モーメント[?D]

最も知りたいデータは気化熱です。
mp,bpの値と分子構造からして、アニリン・ピリジンの様に、揮発性が低いのでないか?
当時・・・オウム科学技術班が、ただサリン合成で精一杯だかこそ・・・
死者が11人ですんだ。
これで、もし揮発性を高める化学実験班を立ち上げたならば、死者は甚大だったのでないか?

ーーーーー
①サリン毒性[経口投与毒性]
サリン70t=70億人殺害量(NHK未解決事件放映より)
1t=1億人=1000kg=10000万人
1kg=10万人=1000g=100000人

▼▼サリン1kg=10万人死亡量
ーーーーー
②サリン毒性[皮膚滴下毒性]
ロナルド・マディソン事件(事件日=1953/5/6)より
サリン20滴=200mg でロナルド・マディソン1人が死亡。[1滴=10mg]
サリン20滴をロナルド・マディソンの腕の布(服)の上から垂らす実験。
⇒そして、アトロピン注射するも45分後死亡。
サリン0.2g=1人死亡

▼▼サリン1kg=5000人死亡量
ーーーーー
③サリン毒性[自然蒸発⇒ガス化⇒拡散⇒呼吸による気体毒性]
オウム地下鉄サリン事件[NHK未解決事件放映でのナレーションからのデータ]
で使われたオウム製造サリンは
・6kg[純度70%]を11個のビニール袋(赤旗新聞で包む)に小分けして
・霞が関駅に向かう5本の地下鉄電車にオウム信者が乗り込む。
そして、霞が関で降りる時に、100均ビニールカサの先で袋を刺して降りた。

・使用純サリン=6000g×0.7=4200g[純度100%サリンとして]
・1袋あたり⇒純サリン=4200g/11個=382g/1袋
※不純物サリン1袋あたり⇒6000/11=545g/1袋[純度70%サリン]
従って、信者は1ッのビニール袋に500mLペットボトル1本分程度のサリン液体を入れた。


【殺傷能力】[NHK未解決事件放映でのナレーションからのデータ]
・死者数=11人
・傷者数=6300人(被害者)

NHK未解決事件放映でのナレーションでは、
死者が11人になった~のは、乗客の中に、サリン袋をさらに破いた人がいて
そこの電車域付近の死者(死者棒グラフによる説明図)が特に多く発生したとナレーションしていた。
だから、もしその乗客がサリン袋を破らなければ、死者が1桁程度ですんだかも???

【やや密閉型ガス化でのサリン殺傷能力】地下鉄駅=やや密閉型
サリン4200g=11人死亡+傷者6300人

▼▼サリン1kg=3人死亡+傷者1500人

ただ、霧状に噴霧するガス化で拡散させたならば、
細かい水滴状で、人間の皮膚(顔・手・腕)・鼻から吸い込む~で付くのであれば、
凄まじい殺傷能力が出て、恐ろしい事態になるだろう。
オウム信者はここまで考えていなかったので、甚大化しなかった。と言える。

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麻原彰晃死刑執行なら【遺骨】を確保した者が後継者になる可能性
2015.3.24週刊ポスト

麻原の死刑後、注目されるのが「遺骨」の行方だ。
死刑囚の遺体は、収容人(麻原)が引き取り人を指定していない限り、その優先順位は妻、そして子供の順となる。

現在、麻原の妻がアレフ(2000年にオウム真理教から改称)信者であるかどうかは不明だが(アレフは取材対応していない)、
2006~2007年に「アレフから妻に、妻が描いた絵画の使用料名目で月額40万円が送金されていた」と報じられ、
その後も信者から妻らにメールが送られていた事が明らかになっている。

公安筋は「今も何らかの関係がある」と注視しており、オウム真理教信者に殺害されかかった経験を持つ滝本太郎・弁護士や、2007年にアレフと袂を分かった「ひかりの輪」代表の上祐史浩も同様の見解を持つ。

滝本弁護士が語る。
「オウム残党にとっては“グルの骨”が崇拝の対象になります。生まれながらの最終解脱者とされる麻原の息子らだけでなく、死刑執行後に遺族経由で遺骨を確保できた者がいれば、その者が正式な後継者・グルとなる可能性もある。新たなグルが、麻原の恨みを承継するならば、教義の神髄のままに新たなテロ行為にまで至る懸念が強まる。だから遺骨の行方に重大な関心を寄せている」(滝本)

強制捜査から20年の歳月が流れた今も、麻原の存在に教団関係者のみならず、政府も社会も、そして法の執行も振り回されている。
オウム事件はまだ「真の終結」を迎えていない。

※週刊ポスト2015年4月3日号

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⇊【2011年の記事】⇊

麻原彰晃 独りごとを呟きトイレにも行かず常時オムツを着用
2011.11.29週刊ポスト

オウム裁判終結――元幹部の遠藤誠一被告の上告が最高裁で棄却された事で焦点は、
次なる段階に移った。すなわち教団教祖・麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚の刑がいつ執行されるのか?、である。

■麻原死刑囚は現在、どのような拘置状況にあるのか。

弁護団関係者によれば麻原死刑囚は独りごとを呟きながら、トイレにも行かず、常時オムツを着けているという。

東京高裁に提出された、麻原死刑囚が“現状況では裁判が出来る状態ではない”ことを伝える弁護士側の「意見書」には、2004年一審判決当時の様子が綴られている。
《夜間に布団の中で「うん、うん」と声を発し、笑い声をあげたが、その後は房内に安座して独り言を言っている》
《接見の最中に服の上から股間を擦り、ついには陰茎を露出させて自慰行為をし、射精にまで至った》
自慰行為は娘との接見の際にも行なわれたとされ、これをもって麻原死刑囚の精神疾患を疑う向きもある。

だが、塀の外から麻原死刑囚を判断しても、想像の域を出ない。
憲法学の権威である慶應大学法学部・小林節教授はこう断言する。
「三審制の裁判を終え、死刑判決が下ったなら死刑が確定したという事。最終的には、法務大臣の判断一つで死刑を執行できます」(小林)

平岡秀夫法相(2011年当時)は今年2011/9月の就任時、海外での死刑廃止化の流れをうけ、死刑の是非を考える省内勉強会が続いている事に触れ、
「考えている間は判断できない」と語った。
今回のオウム裁判終結後も、慎重な姿勢を崩さない。

しかし、法務省関係者の見方はあくまで強気だ。
「死刑廃止論者だった千葉(景子)さんが法相だった昨年2010も、最終的に死刑執行の起案書に判子を押した。最初は千葉さんも難色を示していましたが、『大臣、逃げるんですか』『法務大臣としての職務を果たしてください』と周囲が強く迫ったようです。
今回も平岡法相(2011年当時)は、省内で相当な圧力をかけられている。もちろん判断にあたり、野田内閣(当時)の意向もかかわってくるでしょう」(法務省関係者)

オウム裁判開始から16年――。
今後、刑の執行へ向けての手続きが進められていくと見られるが、結局、麻原死刑囚からは謝罪や真相解明への言葉は何ら得られる事はなかった。

※週刊ポスト2011年12月9日号
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オウム真理教事件で、2015/3現在死刑執行確定者は、次の13人です。
【オウム3事件】
①地下鉄サリン事件
②松本サリン事件
③坂本堤弁護士一家殺害事件

1松本智津夫 死刑囚
2岡崎一明 死刑囚
3横山真人 死刑囚
4端本悟 死刑囚
5林泰男 死刑囚
6早川紀代秀 死刑囚
7豊田亨 死刑囚
8広瀬健一 死刑囚
9井上嘉浩 死刑囚
10新実智光 死刑囚
11土谷正実 死刑囚
12中川智正 死刑囚
13遠藤誠一 死刑囚


高橋克也被告の公判(2015/3)においては、

➊刑事訴訟法475条2項の
「共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。」
という規定、

これは実務上は、
「共犯者同時執行の原則」と言われるもので、互いに証人性を持つ死刑囚は、万が一の冤罪の恐れもあるので、死刑囚の精神的安定のためにも、別々に執行することはせずに、共犯死刑囚は、同時に執行することが原則とされている。
そして
❷松本智津夫死刑囚においては、
刑事訴訟法479条「死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によつて執行を停止する。 」という規定。

これは死刑の意味を分からない状態にある被告人を死刑に処しても、死刑の制裁的意味がないことから規定されているもので、
いまの松本智津夫死刑囚(60)の精神状態は、ほとんど国民には知らされていない状態で、
本来なら今回、首謀者である松本智津夫(60)は、高橋和也被告の公判に証人として、出廷させるべきですが・・。

高橋克也被告の公判(2015/3)に証人として呼ぶべき人物が松本智津夫死刑囚です。
⇒《高橋被告公判 地下鉄サリン審理終える(産経新聞)=2015年3月4日》

「弁護側は、公判前整理手続きで却下された元教祖の麻原彰晃(本名=松本智津夫)死刑囚(60)の証人尋問を改めて請求した。
中里裁判長は次回公判が開かれる2015/3/6日に採否を判断するとした。」
⇒《松本死刑囚の証人尋問却下…オウム高橋被告公判(読売新聞)》

※「弁護側が請求していた教祖の松本智津夫死刑囚(60)の証人尋問について、地裁は2015/3/6日付で却下。高橋被告の公判で、死刑囚の証人尋問は全て終了した。」※

松本智津夫(60)の現状については、
国民の大きな関心事ですから、死刑執行の前提として、情報公開されるべきですが・・・????。
(一番知りたいのは、精神状態・・)

■刑事訴訟法■条文~()は項

●第475条 死刑の執行は、法務大臣の命令による。

(2) 前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

●第476条 法務大臣が死刑の執行を命じたときは、五日以内にその執行をしなければならない。

●第477条 死刑は、検察官、検察事務官及び刑事施設の長又はその代理者の立会いの上、これを執行しなければならない。

(2) 検察官又は刑事施設の長の許可を受けた者でなければ、刑場に入ることはできない。

●第478条 死刑の執行に立ち会つた検察事務官は、執行始末書を作り、検察官及び刑事施設の長又はその代理者とともに、これに署名押印しなければならない。

●第479条 死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によつて執行を停止する。

(2) 死刑の言渡を受けた女子が懐胎しているときは、法務大臣の命令によつて執行を停止する。

(3) 前二項の規定により死刑の執行を停止した場合には、心神喪失の状態が回復した後又は出産の後に法務大臣の命令がなければ、執行することはできない。

(4) 第475条第2項の規定は、前項の命令についてこれを準用する。この場合において、判決確定の日とあるのは、心神喪失の状態が回復した日又は出産の日と読み替えるものとする。

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地下鉄サリン20年:進まぬ賠償 19億円が未払い
2015年3月20日毎日新聞【島田信幸】

地下鉄サリン事件(1995/3/20)から20年が経過した今も、オウム真理教から事件の被害者への弁済は滞ったままだ。
破産手続きを通した教団の被害者への賠償は約19億円が未払いである一方、後継団体は資産を増やすという矛盾した事態となっている。

教団は1996年に破産。被害者の申し立てた債権は約1200件、総額約38億円に上り、2008年に手続きが終了した。
教団資産の売却などにより約16億8000万円が回収され、残る約21億円を「オウム真理教犯罪被害者支援機構」が引き継いだ。

教団はこの間、「アレフ」へと改称し、2007年には「ひかりの輪」が分派。
公安調査庁によると、2000年に約4000万円だった教団資産は、昨年2014/10月末には両団体で計約6億9000万円と、17倍に膨らんだ。
支援機構は両団体からこれまでに約2億円を回収したが、残る支払いは滞り、アレフなどとの調停が続いている。
支援機構理事長の宇都宮健児弁護士は、
「被害者の高齢化も進み、早期の配当が必要。後継団体は、真摯((しんし)に反省しているのであれば協力すべきだ」と訴える。
【島田信幸】

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被害者への賠償、19億円未払い=オウム資産は着々増加-公安庁
2015/3/20時事ドットコム

オウム真理教主流派「アレフ」と元幹部上祐史浩が代表を務める「ひかりの輪」の2014年の現預金など資産残高は6億9000万円で、2000年から17倍に膨らむ一方、地下鉄サリン事件など一連のオウム事件の被害者らに対する賠償額は19億円が未払いになっている。

オウム真理教犯罪被害者支援機構(理事長・宇都宮健児弁護士)などによると、
教団は1996年3月に破産し、事件の被害者とその遺族約1200人に計約38億円の支払い義務を負ったが、
2008年の破産手続き終了までに支払われたのは約4割の計約15億4000万円。
今年2015/3月上旬時点で残る債務は約19億円に上る。

公安調査庁によると、2000年に初めて観察処分が決定された際、現預金などのオウムの資産残高は4000万円だったが、
2014年には17倍以上の規模となる6億9000万円に増加。
一方、賠償金に充てるため支払われた額は2000年の約2億円に対し、2014年には3300万円にとどまる。

同庁はアレフが近年、年3回の集中セミナーで資金の大半を獲得していると分析。
各セミナーには300~400人が参加、1人当たり5万~10万円のセミナー料を徴収し、1回で数千万円を得ているという。

宇都宮弁護士は、
「事件から20年が経過しても、非常に苦しんでいる被害者が多いということを真っ正面から受け止め、資金があるなら早期にできるだけ多くの賠償金を払ってもらいたい」
と話した。
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■■■■1984年~1996年までの変遷■■■■

【麻原彰晃と松本知子】で合計=男2+女4=6人の子。それ以外に愛人の子=6人。総合計=12人。

▼信者数▼

1985年12月 -15人
1986年10月 -35人
1987年2月 - 600人
1987年7月 - 1300人
1988年8月 - 3000人
1995年3月 - 15400人=オウム地下鉄サリン事件前の最高人数
(出家1400人、在家14000人)

1997年7月 - 5500人
(出家500人、在家5000人)
1997年12月 -2200人
(出家900人、在家1300人)

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1999年=オウム真理教=信者数=1500人(公安調査庁)
2000年=アレフ=教団の資産額4000万円(公安調査庁公表)

2011/10=アレフ+ひかりの輪=信者数=1500人(公安調査庁)
2013/7=アレフ+ひかりの輪=信者数=1650人(公安調査庁公表)

2014年11月=アレフ+ひかりの輪=教団の資産額6億9000万円(公安調査庁公表)
2014/11=アレフ+ひかりの輪=信者数=1650人(公安調査庁公表)

▲Aleph(アレフ)=2000/2/4オウム真理教から改称⇔公安調査庁には非協力的。
▲ひかりの輪=2007/5/7アレフから分派(代表=上祐史浩)⇔上祐は民間TV・NHKにインタビューに出演
▲教団の資産額=現金+預貯金など。
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1984~ヨーガ道場「オウムの会」を作る。

1986.4 オウム神仙の会を名乗る。オウムの会⇒オウム神仙の会と改称。
石井久子と飯田エリ子はオウム神仙の会の中心的主要メンバー。

1986.5 株式会社オウム(社長=松本知子)設立。
1986.6 麻原、ヒマラヤで最終解脱をしたと称する。

1987.7 オウム真理教と改称⇔天理教にあやかんで、〇理教とし、真を選んだ。
1988.3 静岡県富士の宮市の土地取得。広瀬健一入信。
1988.9下旬 修行中に急死した在家信徒を教団内の護摩壇で秘密裏に焼却、遺骨をすり潰して湖に捨てる。
このとき、ヴァジラヤ-ナの思想を麻原が示唆(1998/12/11法廷での早川での証言)
1989.2 信徒田口修二を殺害。

1989.3 東京都に宗教法人の認証申請。
1989.4上旬 この頃ヴァジラヤーナの説法を聞いたと広瀬健一が証言(1996/10)
1989.5 日本乗っ取り構想を説く(江川紹子=週刊文春1996.5.2/9)


1989.8.16 政治団体「オウム真理党」を届け出。
1989.8.25 東京都に宗教法人として認証される。
1989.10 『サンデー毎日』オウム批判キャンペーン開始。
1989.10.21 「オウム真理教被害者の会」結成⇔坂本堤弁護士が顧問。
1989.10.29 早川・青山・上祐がTBSを訪問しオウム報道のビデオを見てメモする。
1989.10.31 早川・青山・上祐が坂本弁護士事務所訪問⇒その4日後に・・・

1989.11.4. 坂本弁護士一家拉致殺害。

1989.11.21 麻原ら~ボン(独)に行く。
1990.2. 衆院選にオウム立候補(真理党として)、25人全員落選⇒麻原彰晃得票数=1783票で落選

これ以降・・・幸福の科学・幸福実現党の様に、懲りずに万年立候補・万年落選活動はせず。
完全に政治進出活動から離れる。
1990/2衆議院総選挙が最初で最期であった。
⇒これ以降、転進・・・生物兵器・化学兵器の自主製造に走る。+兵器装備(機関銃など)をする。

1990.3 上九一色村でポツリヌス菌培養始まる(江川紹子=週刊文春1996.5.2/9)
1990.4 石垣島セミナー。これはポツリヌス菌ばらまき計画に合わせた退避計画だったのだが、製造に遠藤が失敗し、中止となる。
ツアーも3カ月の予定を9日で中止(江川紹子=週刊文春1996.5.2/9)(広瀬健一が証言1996.10)。
1997.3.19毎日新聞に3/18日の杉本被告証言⇒1990年4月ポツリヌス菌や炭そ菌をトラックで走りながら高速道路などから噴霧した。
(1999/1/29;杉本繁郎被告証言)⇒1990.4頃首都圏にボツリヌス菌まく。
1990.6 ポツリヌス菌の培養実験中止(江川紹子=週刊文春96.5.2/9)

1990.8. 中野に付属病院開設。
1990.10 波野村紛争で強制捜査。波野村でホスゲン生成研究始まる(江川紹子=週刊文春96.5.2/9)

1991.『人類滅亡の真実』『『キリスト宣言』『ノストラダムス秘密のの大予言』
1992. オウム真理教、スリランカ、モスクワ進出。

1993.2 自動小銃の密造を命じられた村井たちがロシアにわたる(江川紹子=週刊文春96.5.2/9)
1993.3 サリンプラント用の第7サティアンの建設を早川に命ずる(江川紹子=週刊文春96.5.2/9)
1993.7.1 亀戸本部で異臭騒ぎ、後に炭疽菌ばらまき事件と判明。総指揮者は上佑と後に判明。
1993.8頃 炭素菌を皇居付近にまく。(1999/1/29;杉本繁郎被告証言)

1993.『麻原彰晃、戦慄の予言』

1993.11 ラジコンヘリを購入。

1993.11 土谷、サリン⇒生成に初めて成功。

1993.11 池田大作にサリンまく(1999/1/29;杉本繁郎被告証言)
1993.12 2回にわたって池田大作をサリン攻撃、失敗。(1993/12/18失敗した新実がサリン中毒になり、林のところに運び込まれる。97.10.9.朝日)

1994.1.30 元信者落田耕太郎さん殺人事件(1999/1/29;杉本繁郎被告証言)
1994.2 30キロのサリン製造(30kg)。

1994.2 麻原一行、中国旅行。97年に日本の支配者になるという夢を見たと説法で語る。
1994.3.11 仙台の説法で毒ガス攻撃を受けているという形で初めて毒ガスに言及。

1994.6.27 松本サリン事件⇒7人死亡、重軽症者144人(オウムの犯行であることが裁判の証言で明らかになったのはずっと後。当初誤認捜査事件)

1994.7. 上九一色村で異臭騒ぎ。
1994.8 麻原、「世界の動向を観察すると1996年に大きなヤマ場が現われる。そして、この大きなヤマ場の後キリストの登場、97年に到って西暦が終わる」と説法。
(言うまでもなく、1999年でも、西暦は終わっていない~これ以降、毎年のように来年は大変なことが起こるという話が出る)

1994.9.1 宮崎県の旅館業者拉致事件で教団幹部ら告訴。
1994.8~10. 和歌山山中で「白い愛の戦士」という集団を合宿させ、武闘訓練。
1994.9. 端本悟、公判で1994年9月に麻酔薬を投与されるイニシエーションを受けた直後、麻原の指示で中川智正・遠藤誠一ら計4人で江川紹子宅にホスゲンを噴霧する(1998/7/30の公判で明らかに)

1994.11 麻酔薬の大量密造開始。

1994.12 麻原がラジオ出演、サリンについて解説。

1994.12.2 麻原の「水野は悪行を積んでいる。VXをかけてポアしろ。VXの実験でもある」という命令に従い、井上嘉浩・山形明・中川智正・新実智光・平田悟・高橋克也が
鈴木昇にVXガスを振りかけて殺害しょうと図るが致死に至らず(1999/10/7公判証言)

1994.12.12 浜口忠仁をホスゲンで暗殺(後の井上嘉浩証言ではホスゲンでなくVXガスである。~199910/7公判証言)
1995.1.1 読売新聞⇒上九一色村のサリン疑惑を報道。
1995.1.4 永岡弘行オウム真理教被害者の会会長にVXガスを、山形明がかける。致死に至らなかったが重症。
1995.2.28 刈谷拉致事件。即日殺害されたことが後に明らかに。

1995.3.20(月)■■■■地下鉄サリン事件。死者11人、負傷3796人■■■■

1995.3.22(水)オウム真理教大捜査始まる。

1995.3.30 警察庁長官国松孝次銃撃され重体(⇒死亡せず)
⇒形式的には犯人不明で2010時効(お宮入り)。
【国松警察庁長官狙撃事件】⇔2015/3/29PM7:00~11:35世紀の瞬間未解決事件HTBTV番組放映。
※中村秦nakamura-hirosi犯人説(共犯者=林)⇒中村秦はオウムとは無関係。
中村秦は、ゲバラの様な革命家を目指していた。

1995.4.4 オウム一斉捜索、殺人予備容疑に切り替わる。

▼▼1995.4.14(金)日本中がパニック▼▼
ことのきっかけは、
今年1995の初めから死者5千を超える被害をだした神戸大震災を始め、
昨年1994の松本サリン事件、上九一色村のサリン事件~何度かの異臭事件などを背景にした地下鉄サリン事件、
それに小銃製造、生物科学兵器製造やナイフ、サリン、爆薬、ウランの材料、制作、計画などのプラン、戦車の購入計画、拉致事件、と、
不気味な要素がズラリとならんだ中で、麻原の妙な予言、つまり~4月15日に東京に地震が起きるという予言が、凶悪な姿をとって、日本列島を覆ってしまったのである。
地震が起きるということや、地震兵器の話などは、だれも信じていない。
ひとが不安に思っていることは、サリン事件はオウムの仕業であり、サリンはまだ隠しもたれており、追い詰められたオウムが、予言の成就を目的として、
無差別サリン殺人を実行するのではないかということである。
警察、マスコミ、世論、それにオウム信者と、だれもがもしかしたらという疑いを抱いている。

■新宿が狙われているという噂が流され、デパ-トなどが休業。■
(数日後、ゼミ員の友人でオウムに入信し、何年も家族との音信を断っていた男が、4/15日の直前に実家に電話をかけてきて、
4/15日には新宿に出るな、水道水を飲むな、と警告してきたという)⇒この日4/15教団から信徒の子供53人保護。

▲▲1995.4.15 ⇒結局~何も起こらず▲▲
その渦巻く流れで・・・・↓村井秀夫刺殺事件が起こる↓

※地下鉄サリン事件⇒の後⇒村井秀夫は記者会見で
「~教団の資産額は1000億円ある~」と発表する[すべて英語~外国人向け記者会見]
1995.4.23 村井秀夫刺殺(36歳死亡)【村井秀夫=麻原の次のNo.2にあった最高幹部】

1995.5.5 新宿駅構内で青酸ガス発生。
1995.5.16 上九一色村強制捜査⇒■麻原彰晃40歳で逮捕⇒2015現在60歳[20年間の隔離棟生活]■
第6サティアン2F床下の狭間で腹の上に現金960万円を抱きしめる姿で発見逮捕。
都庁で知事あて小包爆弾爆発。1人重傷⇔後にオウムの犯行であることが井上被告の自白で明らかになる。


1995.5.19(金)毎日新聞によれば、
オウム真理教が元自衛官や建設作業員、浮浪者らを訓練して兵士の訓練していたという。
場所は和歌山、1994年の8月から10月。町から退去を命じられて1994/10月23日に町を出たという。この集団は教団内部では「白い愛の戦士」と呼ばれていたという。

1995.5.20 池田大作暗殺計画があったことが発覚。

1995.9.5(水)坂本弁護士夫妻の遺体遂に発掘される。息子は未だ。
田村智の初公判の記事朝刊に大きく出る。オウムと麻原に対する激しい批判。
オウム幹部石井久子逮捕。
1995.10.18(水)青山被告初公判。罪を認め、脱会表明(石井久子)。

1995.10.24(火)中川被告裁判でサリンの製造と教団による地下鉄散布を認める。
1995.10.26(木)本日麻原彰晃初公判の予定だったが、昨日10/25麻原が横山弁護士(前歯の欠けた様な風貌の老人弁護士)を解任して延期。
1995.10.28(土)裁判所、国選弁護士依頼、麻原⇒横山再任。息詰まる攻防。

1995.10.30(月)オウム宗教法人解散命令。

1995.11/土谷被告初公判。黙秘戦術。
1995.11.14(火)遠藤被告初公判。サリン製造認める。
1995.12.14(木)オウムへの破妨法適用手続き開始を村山首相了承。
1995.12.20(水)公安調査庁の杉原広泰長官が破暴法適用に向けた最初の手続きとして教団から言い分を聞く「弁明手続き」を1996年1月18日から聞くことを決め、官報に公示する。
破暴法公示の全文は1995.12.20朝日夕刊に載る。
今後の手続きは、
弁明期日→処分請求手続き→公安審査委員会の審査→処分の決定→取消請求訴訟(行政訴訟を東京地裁に)→取消か訴訟棄却。

1995.12 「週間現代」に麻原の自白調書掲載。横山弁護士が流したものだ{警視庁はこれまで調書はないと言明してきた。何のための嘘なのか?} 。
1996.1.18(木)破妨法適用に対する弁明手続き。麻原の出席を警察が拒否。

1996.2.22 毎日連載「私の捨てた『おうむ』」より
第7サティアンでシバ神像を隠蔽工作のために作らされた元信者の証言。

1996.2/末~毎日新聞で『オウム大捜査』連載開始。
1996.3.12(火)坂本弁護士一家殺人事件初公判で共犯者中川が検察冒頭陳述を大筋で認める。
つまり麻原の指示の下で、6人で教団にとって脅威であった弁護士とその妻子を殺害し、山中に埋めたことを。

1996.3.15(金)幹部上祐初公判、罪状黙秘、代りに「麻原は救世主」「予言者」「私のすべて」などと陳述。
彼(上祐)はマインドコントロ-ルされた側でなく、する側の人間だと思われる。
これとは反対に、幹部山本まゆみは公判で起訴事実を認める。

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1995/7 元出家信者からの話要約。
本人曰く。
大学理工学部在籍中出家。
偏差値、大学、学部など、世間の価値観に無批判的に大学まで来てしまった。
新たな価値観としてのオウムがあり、超能力への興味もあってオウムに2年ほど入信。
初めて主体的にお仕着(siki)せでない価値観を選び取った思いだった。
現在そのことに対しての罪悪感あまりない。
出家すると矛盾が見えてくるが、それを見ないようにする自分もいた。
自分の内面が関心の中心になり、教団全体に心が行かなくなった。
やめようと思い、2度脱出。
サリンを作ったとか落田が殺されたとかは信じたくなかった。寝耳に水だった。
内部にいた者としては事件の構図がまとめられない。むしろそうしたものを抜いた(除く)ところでまとめている。
オウムは教義を持った宗教団体だが、権力の欲望で動いていることも確かだろうというのが今の認識だ。

地下鉄サリン事件後、脱会してから大学に戻っているがあまり面白くない。休学中だ。
当時科学技術班に入っていた。そのためか修行はきつくなく、比較的自由だった。
教団が薬物を使い始めたのは1994年からだ。これが疑問を持つきっかけになった。
麻原の著書「宗教にだまされるな」では薬物を使う宗教はインチキだと書かれているからだ。
凝縮した2年間、内的な2年間だった。
出家も脱会もルビコン川を渡る思いだった。
他方では何となく入り、何となく出た感じもしている。
夢のような2年間でもあった~~。

※ルビコン川=カエサルがサイは投げられたと言い渡った川=もう後戻りはできないという覚悟
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■麻原彰晃+松本知子⇒子供6人■

▼出産順▼
➊長女
1978年生(2015現在37歳)
ホーリーネーム=ドゥルガー
❷次女
1981年生(2015現在34歳)
ホーリーネーム=カーリー
❸三女
1983年生(2015現在32歳)
ホーリーネーム=アーチャリー
本名=松本麗華
2013年7月からブログを立ち上げて麻原彰晃に関する内容を書いている。
本を出版《止まった時計/麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記》講談社1512円
上祐と同じく、民間TV・NHKに良く出演する。
❹四女
1989年生(2015現在26歳)
ペンネーム【松本聡香】で自叙伝を出版/4780円
《私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか/地下鉄サリン事件から15年目の告白》徳間書房
四女の過去では、自殺未遂やネットカフェ難民、ホームレスなどを経験した。
❺長男
1992年生(2015現在23歳)
教団から皇子の称号を与えられる。しかし・・・・

長男はアレフに対して
写真と名前の無断使用禁止を求める提訴を起こし、名誉棄損で4000万円の請求をした。
長男は現在大学3年生=関西の大学に進学した。
❻次男
1994年生(2015現在21歳)
春日部共栄中学校に合格したが、《麻原彰晃の息子》という理由だけで入学を拒否された。

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■麻原彰晃+愛人A,B,C,D,E,F....⇒6人の愛人の子■内訳=石井久子が3人+他の愛人などで3人

愛人A▼石井久子(2015現在51)
ホーリーネーム=マハーケイマ正大師⇒既に脱会した。
麻原彰晃との間に3人の子を生んでる。
3=双子+1
子供たちとは暮らしておらず、神奈川県近郊で父親と2人で暮らしている。
2000年11月に懲役3年8ヶ月の服役終えて出所。一時精神を病む。
2015現在は訪問介護の仕事しながらマンションで父親と2人暮らし。

▼飯田エリ子(2015現在50)
ホーリーネーム=サクラー正悟師⇒既に脱会?。
2002年8月に懲役6年6ヶ月の実刑を終え出所。出所数ヶ月前に脳出血。現在は都内の実家で暮す。
右半身麻痺。リハビリのため実家(府中市?)と病院を往復する毎日。
現在も後遺症が残り車イスと杖が必要な生活を余儀なくされている。

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▼三浦シスターズ▼三浦4姉妹▼別称オウムシスターズ▼

オウム真理教に三浦一家総出で入信。1989年秋に出家した4人姉妹のことである。
ホーリーネームはそれぞれ、
長女がソーマー、次女がセーラー、三女がタントラナンダー、四女がタントラアバヤーである。
出家前は教団名古屋支部の在家信徒であった。長女は教団の「世界記録達成部」に所属していた。
1990年の第39回衆議院議員総選挙にオウム真理教が「真理党」として出馬した時、
彰晃マーチの音楽と共に、4人姉妹が象の帽子を被って踊った。
オウム真理教事件発覚後は、それぞれ独自の道を歩んだと言う。

真理党でのショウコウ~しょうこう~と言う風なマーチ音楽と共に、薄い淡い色のドレスで穏やかに踊る4姉妹であった。
4姉妹はスレンダーでスタイルも良い。
今風の栄養過多的ふやけた娘ではなく、AKB風のズングリ体型よりはスタイルは良いと見えた。
但し、踊りは質素で民俗風。

■三女アーチャリー松本麗華は綺麗と言うネット評価を良く見るが・・
■松本麗華(31)の顔で、
・左目~右目の緯度にズレがある(要するに水平ではない)
・左目の瞳の大きさと右目の瞳の大きさが関知できる程に違う。
これが禍して、思う程に綺麗とは感じにくい顔になっている。

■この三浦4姉妹に関して、
1990当時・友人が撮影した写真を拡大・アナログ計算した事がある。
左右対称で、幾何学的対称顔であり・・顎線⇒y=ax2型の放物線で・・・
その安定した顔がむしろ・・どうも説明が出来ない・・
但し2015年現在の顔はそれなりに、崩れているかもネ???
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オウム関連人間で、間違いなく生き残り、負の資産を栄光の名誉として、
膨らみ膨張しながらも立ち上がる人間は、
松本三女/麗華だろう。

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平成4年(1992年)の時、
麻原彰晃、が北海道大学祭に教養部広場に来る。教養部⇒現在/高等教育推進アドミッションセンターに改称
と言う話が大学祭前に強く流れた。。。。
しかし、
結局、来なかった(⇒その3年後に地下鉄サリン事件)
ちょうど、オウム真理教の全盛期で、
日本各地でオウム騒動のあった時期でした。。。

その時期では、
北海道大学教養部(当時)の出入り口に、、
大きい長テーブルを設置して、そのテーブルの上に、
麻原彰晃、の空中浮遊の本とか、
北海道大学教養部の化学助教授(教養部2Fにその助教授室があった)の一家がオウム出家して、
自分の子供のアトピーが治ったと言う本とか、を並べて、
プロパガンダ宣伝していた(無料で配布した)。。。

学内の敷地内に長テーブルを置いて、朝・昼~と宣伝していた。
今から思えば、よく大学当局が~そのまま黙認放置していたもんです。
あの当時は、敷地内に自由勝手に使用していた時期だった。

あの当時は、
かなりデカイ青テントを学生が建てたり~自由勝手に敷地占領が横行していたから、
そう言う流れだったのかもしれない。
丸管規騒動で大学当局と学生運動が激しく紛争していた。
それから見ると、今(2015)は、静かな大人しい生徒です。
今は、ただ勉強?就職活動?に専念する静かな生徒です。
あの当時は、大学当局が青テントを壊して⇒負けじと再度学生が青テントを建てるその繰り返し~
当局が根負けして、青テントが存続していたもんです。
それから~数年後~青テントが完全になくなった~
それで、もう学生運動とか、紛争とか、が全く完全に消え伏せた
青テントが学生運動の最後の砦で、それが、大学当局と学生間で協議して取り壊した。
それから~学生は徐々に牙を失い続け⇒総入れ歯になった~
もう、大学は、学生にとって単なるアパートにいる様な感じで、そこに権利意識はない。

さて・・・話は~戻し・・
その宣伝マン(女性当時30歳前後?)は、
当時28歳位のさほどキレイでもない女任侠であった。
もう、今では50歳の中年オバサマでだろう。。。
この女任侠は、まだ小オウムに在籍しているか否か?
はわからない。。。。

この女任侠は、
今となっては正直者で自身はマジメだったかもしれない。
女任侠は、
空中浮遊は自分はできないし成功していない。と曰く。
麻原が空中浮遊しているのを見た事はないと言っていた(そう言う意味ではこの女任侠は真実を言う)。

そして、
キャベツとか野菜はしなびてから食べる。と曰く。
理由は殺生はしない。死んだ野菜を食べると言う。
新鮮野菜は生きている。からしなびてから食べる。と、、、

この女任侠のミッションは、
国立大学の工学部の学生を出家させ、
化学者のかき集め、だそうだった。。
そして、
平成5年(1993)当時・・・
みんなでワイワイ~学生食堂でカレー食べて雑談していた時・・・
北大工学部修士課程1年生がオウムに出家したと言う話が飛び込んだ。
ギョぎょ~と皆~驚いた・・・
きっと、
東北大学にも、別の女任侠が出没したのでないか??

しかし、
真理党として、衆議院総選挙に立候補をして・・・・
麻原彰晃が落選した事が、
麻原彰晃の皆殺し恨みを決意をさせたと~
まぁ~生ける最終解脱者麻原彰晃としては、誠に許せない結果だったと言える。
最終解脱者が平民立候補者より下(ゲ)の最下位の落ちぶれて者・・
これは、オウム神仙の会~以来の初めての最初で最後の転落だったのでないか?
これは許せん!!手打ち切り捨て御免~ところではない~
あの衆議院総選挙落選が地下鉄サリン事件に向かわせた。

ただ不思議なのは、
大川隆法にしろ、麻原彰晃にしろ、
愛人100人だのと男力=総裁・尊師の器ぽくと祭り上げる~
ただ、そうならば、愛人の子がいてもよいのだが~いない不可思議。
愛人の子いても数人程度です。
作られた噂を流すトリック総裁・尊師の様な感じ。

サティアン6で、
最終解脱者麻原彰晃は2F床下の狭間で腹の上に960万円を乗せ、
息を殺し潜んでいた・・
最後はカネかねカネだけが頼りだった最終解脱者の最期で人生を終えた。

最終解脱者とは、
カネとか、この世の欲からのしがらみから解放された人間と思うのだが~
どうも、麻原型最終解脱者は、ますますご清栄で、カネ・女に満喫する事らしい。
お布施をしろ!!と麻原は口走り、・・・出家は全財産没収のため。
良く考えていればわかる事なのだが、それでも信者は麻原=最終解脱者と信じる不可思議。

共産党も入党すれば、
寄付金・カンパ(=お布施)、選挙となればより一層寄付金・カンパせよ!!と騒ぐ。
政党助成金をイジでももらわない。と格好つけるため、寄付金(お布施)集め・・
アカハタ日曜版(品物付お布施)を拡販しろ!!と尻を叩き、煽る。
それで、本来は1部(自分用)で良いのだが~自腹で多く契約する愚かな党員・・・
それが、共産党幹部の生活費に給付される。
それでも、党員でありつづける心境・・・
まぁ~カルト集団と言われるゆえんです。

平岡都事件の様に、大胆な殺人ではあるが、
逮捕されない様にかなり慎重に、警察の捜査能力の限界を計算して、それを超えない様に
御宮入り事件にするのが、普通と思うのだが~
最近は、大胆にして、逮捕されてもOKと言う事件が当たり前になっている。
俗に、神風特攻隊的事件にいそしみ、早々と逮捕される事件を起こす・・・
地下鉄サリン事件も神風特攻隊的事件である。

となれば・・・
現在、監視カメラ天国、だがカメラはすべて下向きで地上戦である。
しかし、ラジコンヘリ活動域では、カメラは無力&コバエ繁殖になる。
神風特攻ラジコンヘリor神風特攻ドローンに薬品搭載して噴霧する事件or玉砕激突事件が
今後いつか起こるのかもしれない~~
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