2013年3月24日日曜日

2011年高齢出産野田聖子(51)/体外受精帝王出産/真輝まさき(長男)の闘病


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2011年高齢出産の代名詞;
野田聖子(51)/体外受精帝王出産長男(真輝まさき)の闘病

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野田聖子/不妊治療で薬漬けだった10年間
2012.03.19/月刊SPA<取材・文/佐藤留美>

体外受精に挑戦すること14回。
妊娠、流産、離婚、再婚を経験し、米国病院での卵子提供を受けて、ついに50歳で初産。
週刊SPA!2012/3月19日発売号の「エッジな人々」では、
40歳から10年にわたって不妊治療に取り組んできた野田聖子衆院議員を直撃。
母・野田聖子と議員・野田聖子のはざまで格闘する彼女の素顔をつまびらかにした。

長男/真輝が今年(2012)1月6日に1歳の誕生日を迎えたことを喜ぶ野田聖子議員

①――やはり、10年間にわたる不妊治療は苦行でした?
野田:塗炭の苦しみね。
最初は普通妊娠を目指していたけど、なかなかできないから、不妊治療を始めて。
漢方薬を服用したり、排卵を誘発する注射を打ったりで薬漬け。
この注射は、“アレ”(性交)の10数時間前に打つので、
当時の夫に「今日は早く帰ってきて」と強要してしまう。すると、
「俺はお前の子供をつくる道具じゃない」なんて言われて、随分、不毛なケンカをしました。
その上、私の卵管が詰まっていることが発覚して体外受精に挑戦したのだけど、
何度やっても、妊娠できない。

②――それなのに、40歳から10年間も治療を続けられたのはなぜ?
野田:家族が欲しかった。
それだけ。女性はみんなそうでしょ? だから、私はシングルマザーでもいいとは思わなかったんです。愛する夫がいて、その人と子供を産んで、家族をつくりたかった。普通でしょ?
私はやっぱり普通に生きてる人が普通に政治家にならなきゃいけないと思っているので、滅私奉公とか、我が身を政治に捧げるなんて発想は、必要ないどころか、かえって迷惑だと思ってる。そんな人に、普通の暮らしがわかるかって、言いたくなっちゃう。

③――しかし、「普通の人」は卵子提供に500万円、不妊治療に500万円もかけられません。
「特権階級の贅沢」だという批判もありますが。
野田:でも、不妊治療にお金をかけられるだけ、働いてきたわけだし。
自分でできないことを人にまかせる自由は許されると思うんです。
努力は報われるっていう、資本主義国家にいるわけだから。
それでも「野田は国民の血税で不妊治療している」って言う人はいるよね。
でもね、卵子提供も出産も費用は全部、夫に出してもらっているんですよ。

④――卵子提供から現在に至るまでの道のりは、フジテレビのドキュメンタリーで放送されましたが、「障害を抱えた子が生まれるのを承知で子供をつくるなんて、エゴだ」と、だいぶ批判もあったようですね……。
野田:そういう批判は構いません。
だって、出産自体、エゴじゃない?
子供の側から見れば。親がエッチして、世に送り出されちゃって。
ただ、ネット掲示板に「基地外」だ「ババアは引っ込んでろ」だの書かれたときは、ずっと泣いてましたよ。何だか日本人が汚く見えて。外に出ると、そういう人ばっかりなのかなと怯えちゃってね。
だから、そういうときは野田聖子とわからないように変装して、すごい内向き女になってた。

⑤――番組のなかで「子供には私のためではなく、自分のために生きてほしい」と言ったのが、かえって誤解を招いたのかもしれませんね。
野田:前後がカットされていたので、正確に伝わらなかったんです。
本当のところを説明すると、うちの子は何度も死にかけて、息も何度も止まりかけて、それでもカムバックしてくるんです。
そのとき私は、子供を助けてくれたお医者さんや看護師さんに「ありがとうございます」って言うでしょ。すると、お医者さんは「いや、違いますよ。真輝君はママのそばにいたくて頑張るんですよ」って必ずおっしゃるんです。
救っているのは、私たちじゃない、お母さんですよと。それを聞いて、私、胸が詰まって、「もう私のために頑張らなくていいよ」と言ったんです。

⑥――“同業者”から批判されたことはありました?
野田:表だって言わないですよ。ズル賢い人たちですから。
でも、地方の市会議員のおじさんとかには散々言われました。
前夫との間の不妊治療について書いた『私は産みたい』を出したとき、
「ポルノ小説」と言い切った人もいたんですから。

⑦――どの部分がポルノなんですか?
野田:「精子をくれ」と、私が夫に言ったくだりとかじゃない?

⑧――お子さんにこれだけ重篤な障害があるなら、
1日中母親が付いているべきだという批判もありますよね。
野田:「お母さんに徹しろ」って批判ね。徹したいよ、私だって。死にかけてる子供がいるのに、仕事をするのはツラいですよ、本当に。でも、やっぱり社会人として穴開けられない仕事は、行くしかないでしょ。私の心の中では、いつだって
「母・野田」と「議員・野田」がケンカしてますよ。天使と悪魔みたいに。

母と議員、相反する2人の野田聖子を内に秘めながらも、
野田聖子議員が成し遂げたいことはなんなのか?

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2011年高齢出産の代名詞;
野田聖子(51)/体外受精帝王出産長男(真輝まさき)の闘病
2011/11/12女性セブン

2011年1月6日に真輝(まさき)を帝王切開で出産した自民党・野田聖子議員(51)。
さまざまな苦難を乗り越えての出産だった。


■真輝=生年月日=2011/1/6午前 ⇒未入籍夫なので、野田真輝?
帝王切開=2154グラム
卵子=野田聖子ではない・若い女の卵子
精子=元夫・鶴保庸介(未入籍)?


41才のときに不妊治療を始めた野田聖子は、
■体外受精14回、
■流産1回という経験を経て、
2010年8月に第三者による卵子提供での妊娠を公表した。

51ー41=10年間/体外受精14回・・・・・・体外受精14回=13回失敗+1回成功
x+2y=14
x+y=10
x=6
y=4

よって、1年に1回の体外受精を6回
よって、1年に2回の体外受精を4回となる。


このとき、
「お金にものをいわせている」
「彼女のせいで不妊治療をもっと頑張れといわれる」など、
彼女の妊娠をめぐっては多くの批判も寄せられたが、
野田聖子は本誌のインタビューで、“何としてでも子供を欲しかったという思い”
をこう明かしている。

野田聖子;
「いろいろな可能性すべてに挑戦してきた女としての最後の苦渋の決断だったんです」
批判されるのも覚悟のうえで、決死の思いで真輝を出産した野田聖子だったが、


その真輝は、生まれる前から、
■すでに臍帯ヘルニアと心臓疾患という大病を患っていた。

●へその緒の中に肝臓が飛び出した状態で、
●さらに本来2本ある心臓につながる血管が1本しかなかった。
●仮死状態で生まれてきた真輝は呼吸も止まっていて産声をあげることすらできなかった。


また、産後すぐに、
●食道閉鎖症が見つかり、口からの食事は不可能と診断され、
●チューブで直接、胃にミルクを送り込まなければならない状態だった。

そのため、真輝は生まれた直後から、
NICU(新生児集中治療室)で、何本ものチューブにつながれ、
機械に囲まれる生活を送ることになる。


出産直後の思いを野田聖子はブログにこう綴っている。

<息子は、低体重だけではなく、内臓疾患があることが判り、もう少しNICUにお世話になることになりました。小さなからだで、ふびんだと思うけど頑張ってくれてます>

それ以降、野田聖子は、
その闘病の様子をブログに綴るようになる。
それは、まだ生まれたばかりの小さい命には、あまりにも過酷で苦しい日々。


※女性セブン2011年11月17日号

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野田聖子10か月長男(真輝) ICUで人工呼吸器つながれ予断許さず
2011/11/08女性セブン

2011年1月、野田聖子議員(51)が体外受精の末に帝王切開で出産した、

真輝=生年月日=2011/1/6午前
帝王切開=2154グラム


長男(真輝)は心臓などに疾患があり、
実は生後10か月を過ぎたいまも、集中治療室から出ることができずにいる。

それどころか、生死の境をさまようことも少なくないという。
野田聖子は、何もしてあげられない無力を息子に詫びながら、胸詰まる思いで日々闘っている。


さまざまな病気を併発していたため、
●1才までに6度の手術を受けなければならないほど、危険な状態だった真輝(まさき)だが、

すでに、
5度の手術を経て、5月(2012?)には心臓の手術(6度番目の手術)を残し、後の病気は完治する。

そして、
2011/7月には一般病棟に移ることができた。
2011/8月にはいると、野田聖子は、こんな喜びをブログに綴っている。


野田聖子ブログ:
2011/8月9日<病院でムスコの主治医から、予防接種をそろそろ、やりますね、とのこと。ぶるぶるっと嬉しさ……何故なら、これまでは、目の前の命を守るだけの毎日だったから、予防なんてしている余裕はなかったのだ。(中略)今のムスコは、かつてのように一日一日の命の力だけでなく、もう少し先まで生きていけるパワーが生まれてきたのだな、と>


このころには体重は5kgにまで成長して、野田聖子自らの手で真輝を抱いてお風呂に入れてあげられるほどに、容体も上向いた。だが、その喜びも束の間だった……。


直後から、
■真輝の容体は、再び後退していく。


野田聖子ブログ:
2011/8月16日<実は、今、あしぶみ、状態。ここ数日、ムスコは、苦しんでいます。苦しんでいるのに、なんもしてあげられないよ……ごめん、ごめん、ごめん>


そして、
2011/9月7日、地元の岐阜に所用で戻っていた野田聖子が帰京したとき、
失意のどん底に突き落とされる知らせが。


野田聖子ブログ:
<東京駅についたところで、夫に電話。すると、ムスコ、再出血とのこと。ショックで息が止まりそうに…いまだ原因も出血場所もわからないままだ。(中略)病院に向かう。ムスコ、ぐったりしている。笑顔なし。おむつを替えると、血便がべったり……ほんとに辛いんだろうな、かわってあげられなくて、すごく悔しい。抱っこしたら、すっと軽くなっていた…心を鬼にして、仕事場へ向かった>

2011/10月18日 <昨日、月曜日の朝……突然、ムスコの呼吸が止まりました。心臓マッサージで蘇生。(中略)その後、緊急手術が決定、午後3時半から9時半までの長時間。(中略)今朝、戦い終わった、いや、戦闘中のムスコと対面。安らかに眠っています。どうか、どうか、この困難を乗り越えてくれますように>

2011/10月20日 <本日もPICU(小児集中治療室)へ行き、ムスコに面会してきました。筋弛緩剤はなくなり、鎮静剤のみになりました。よって、目覚めました……でも、目は開いているものの、焦点が定まらず、こちらを認識出来ていません。(中略)即死してもおかしくないほど深刻であったこと。しかし、ムスコはぎりぎり心停止をまぬがれ、呼吸が止まったのも2~3分で済んだこと>


2011/10月28日現在、真輝はPICUで人工呼吸器につながれ、予断を許さない状況にある。
野田聖子も多忙なスケジュールの合間をぬって病院へ通い、わが子にエールを送る。


※女性セブン2011年11月17号

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野田聖子/生まれた子供の心臓疾患は体外受精が原因ではない
2011.03.05女性セブン

野田聖子(50)は1月6日、帝王切開で2154グラムの男の子を出産した。
14回の体外受精と1回の流産を経ての妊娠・出産は困難きわまるもので、
2010年8月に胎児の臍帯ヘルニアが発見されただけでなく、
2010/10月には子宮頸管の長さが通常より短く縮まり、子宮口が柔らかくなるといった母体の異変も生じた。

そんななか、
2010/10月26日の朝、
野田聖子は大量出血して病院に運ばれ、
そのまま出産までの2か月半、入院生活を送ることとなった。

入院から20日ほど経った2010年11月15日の夜、突如猛烈な痛みが腹部を襲った。
その痛みが陣痛につながることを避けるため、
ウテメリンと呼ばれる点滴を腕に打つことになった。
この日からほぼ24時間の点滴生活が始まった。

そんな野田聖子に、さらなる子供の異変が突きつけられた。
すでに発覚していた臍帯ヘルニアの他に、心臓疾患が見つかったのだ。
心臓に穴があいており、本来2本ある心臓に繋がる血管が1本しかなかった。
そして複数の疾患を併発していることから、

■子供が『 染色体異常 』である可能性が高まったとの説明も受けた。

最悪の場合、生まれてきてもどれだけ生きられるかはまったくわからないとも…。


●『踊る産科女医』の監修者で、産婦人科専門医の宋美玄はこう話す。

「野田さんの場合は、卵子提供に関しては若い女性の卵をもらっているわけですから、病気の赤ちゃんを授かる確率は低かったはず。野田さんに起こったことは年齢に関係なく、誰にでも等しく起こる可能性があります」

しかし一方で
●咲江レディスクリニックの丹羽院長がこう指摘する。

「野田さんの場合は、年齢と赤ちゃんの病気には因果関係はないかもしれません。しかし、母体が高齢であると、血管の老化で血圧が上がってしまったり、妊娠性高血圧症候群という病気になりやすいんです。35才以上だと2割近くがこの病気になるともいわれています。そうすると、赤ちゃんの発育が悪くなる可能性がある。それから、年をとると糖尿病や心臓の病気、甲状腺など内科の病気が増えます。その病気そのものが、妊娠中に悪化する場合があって、それが赤ちゃんに影響を及ぼすこともあります」


※女性セブン2011年3月17日号

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野田聖子/妊娠4か月で赤ちゃんが体外に飛び出す恐れあった
2011.03.04女性セブン

2011/1月6日、野田聖子(50)に男児が誕生した。
長年にわたる不妊治療から出産までの道のりは想像を絶するような苦難の連続だった。
お腹の赤ちゃんに次々と疾患が見つかったことに加え、妊娠4か月になると、
今度は彼女自身の体に次々と変調が表れた。


まずは子宮頸管の長さが以前は、
『4センチ』あったのに、『2.6センチ』に縮まっていた。
子宮頸管とは子宮下部の管状になった部分で、赤ちゃんが生まれるときに通る道のこと。
これが短いと、何か圧力がかかった拍子に、赤ちゃんが体外に飛び出してしまう可能性が高い


さらに、
2010年10月14日の健診では、
子宮口がマシュマロのように柔らかくなっているとも診断された。
赤ちゃんが勢いで出てきてしまうリスクがさらに高まっていたのだ。
医師には「高齢妊婦であることが原因ではない」と説明されたという。


野田聖子は、高齢出産のリスクとは、
「妊婦の血圧が上がったり、たんぱくに異常が生じたり、体重が異様に増えてしまったりすることなど」だと聞いており、そうした一般的なリスクは、それまでの彼女には皆無だった。

しかし
●咲江レディスクリニックの丹羽咲江院長はこう指摘する。

「子宮頸管も子宮口が柔らかくなるのも、妊婦が高齢であることとの因果関係は、ケースバイケースといえるでしょう。原因はふたつ考えられます。絨毛(じゅうもう)羊膜炎という炎症が原因となるものと、子宮頸管無力症という体質的な問題です。絨毛羊膜炎は疲労や過労が原因となりやすく、若い人にもよく起こります。ただ若い人とは基礎体力が違うので、高齢になればなるほど疲れやすくなることを考えれば、リスクは高くなります」


そして、
2010年10月26日の朝、
野田聖子は大量出血をして病院へ運ばれる。
この日から出産まで、2か月半に及ぶ入院生活が始まったのだった。


※女性セブン2011年3月17日号

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男児出産の野田聖子/切迫早産でベッドに寝たきりだった
2011.01.06女性セブン

米国で第三者から卵子提供を受け、体外受精で妊娠していた野田聖子衆議院議員(50)が
2011/1月6日午前、男児(真輝まさき)を出産した。

お腹に異変を感じたのは、2010/12月の初めのことだった。
自宅のトイレに行くと出血と少量の破水があった。下腹部が張り、痛みもある。

「切迫早産です」

駆け込んだ病院でそう診断され、絶対安静、即入院をいい渡された。

「このまま出てきてしまうのではないかって…本っ当に不安でした」

野田聖子が診断された切迫早産とは、
妊娠22週以降37週未満に下腹痛、出血、破水などの症状が見られ、
早産の危険性が高い状態のこと。自らの状況について野田聖子本人はこう話していた。

「子宮が収縮して子宮頸管の長さが極端に短くなって、(早産の)リスクが高いっていわれました。それで、いまはベッドに寝たきり生活(笑い)。朝6時に起きて、子供の心音を聞いて、午後3時にはモニターで子供の様子を見て…あとはお腹が張らないように張り止めの薬は24時間点滴してます。いまは母子ともに順調ですが、胃が圧迫されて物が食べられなくなってるし、めまいがしたり、以前より妊婦だな…という症状が出てきています」


※女性セブン2011年1月20・27日号

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野田聖子
生年月日=1960年9月3日(51歳)
配偶者=元夫・鶴保庸介(未入籍)

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鶴保庸介(自民党伊吹派参議院議員)
つるほようすけ
生年月日=1967年2月5日(44歳)

2001年自由民主党の野田聖子元郵政大臣と「結婚披露宴」と称した盛大な式を、
東京、岐阜で5回にわたり挙げ、マスコミにも大々的に報道されたが、
5年後(2006年)に別離。
鶴保庸介は野田聖子との関係について
「元々籍も入れておらず、同居もしていなかった」と語っている。


2005年事実婚の関係にあった野田聖子元郵政大臣が、
小泉純一郎首相が成立に執念を燃やす郵政民営化法案に反対票を投じ、
第44回衆議院議員総選挙に無所属での出馬を余儀なくされる。

鶴保庸介は2005年8月10日、
「夫としては当然、妻の応援に向かわねばならない」として所属する二階派に退会届を提出した(選挙後に撤回)。なお、この総選挙で初当選し同じ二階派に所属した川条志嘉は2004年の第20回参議院議員通常選挙に民主党公認で和歌山県選挙区から出馬したが、鶴保庸介に敗れている。

2009年の第45回衆議院議員総選挙では自民党大敗の煽りを受け、
鶴保庸介が所属する二階派の衆議院議員は会長の二階俊博を除く全員が落選し、
二階派は伊吹派に合流した。

2010年7月の第22回参議院議員通常選挙に自民党公認で和歌山県選挙区から出馬。
長らく事実婚の関係にあった野田聖子の応援も受け、3選を果たした。

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